映画を観る準備はできている。

映画についてのいろいろな話。

「物語」は彼女を救う。「ゴーストランドの惨劇」

※ネタバレがあります。

※ネタバレがあります。

大事なことなので二回言いました!何も知らないで観た方がいいと思います。

 

 

 

予告編

この映画は予告編を見ないで観た方がいいと思うので貼りません。

 

あらすじ

マーターズ」の鬼才パスカル・ロジェが6年ぶりにメガホンをとり、絶望的な惨劇に巻き込まれた姉妹の運命を、全編に伏線と罠を張り巡らせながら描いたホラー。(中略)出演はテレビドラマ「ティーン・ウルフ」のクリスタル・リード、「ブリムストーン」のエミリア・ジョーンズ。(映画.comより引用)

※あまり内容を知らない方がいいと思うので編集しています。

 

感想

「物語」は人を救う。それは真実だ。しかし、恐ろしい運命に晒されたベスが書いた物語――惨劇は当の昔に終わり、それに囚われ続けているのは姉ばかりで、愛する母は普通に生きており、自分は夢見た通りホラー作家として成功して夫と子どももいる――は彼女を救わない。それは未だ彼女が置かれている恐ろしい状況から目をそらし、逃げ込むための偽りの夢だ。必死に逃げ出すも再び囚われて、またしても恐ろしい状況に追い込まれてしまった時、ベスの心は逃げ出す。誰が責められるだろう。彼女はまだ子どもだ。十代の、誰かに守ってもらうべき子どもだ。しかし状況が彼女に子どもであり続けることを許さない。そのままその甘美な偽りの中に閉じこもっていれば、姉も彼女も無残に殺されて終わっていただろう。だがベスはその道を選ばなかった。必死に彼女を呼び、現実と向き合わせようとしていた姉のために、彼女は偽りの夢を破り捨てておぞましい現実へと足を踏み出す。自分の命のために、未来のために、戦うために。ファイナルガールの登場するホラー映画とは、常にそういうものではなかったか。ラスト、救急車の中で、「スポーツをやってるの?」と訊かれ、ベスは答える。「いいえ、書くのが好き」物語が彼女を救うのはこれからだ。彼女はきっと「ゴーストランドの惨劇」を書くのだろう。自分を救うために。

 

残念なところ

 この映画、どんでん返しを含むストーリーはすごく好きだし、終わり方もいいと思うし、映像はきれいだし、よくできていると思うのだが、一つだけ残念なところがある。

 ヴィランがつまらない。

 この映画は2018年制作なのだが、今時サイコなヴィランの造形があれ。80年代くらいからよく見るあれ。「トランスジェンダーとハリウッド」を観た後ではこういう描写をスルー出来ない。もうこういうサイコキラーステレオタイプやめようよ、単につまらないしさ。

 そして映画を好きな人にこそ「トランスジェンダーとハリウッド」はおすすめである。

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偽りだらけのこの世界で、たった一つの真実。「新しき世界」

「新しき世界」を観た。

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

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あらすじ

 

ラスト・プレゼント」のイ・ジョンジェ、「オールド・ボーイ」のチェ・ミンシク、 「甘い人生」のファン・ジョンミンが豪華共演し、韓国で470万人を動員した大ヒット作。韓国最大の犯罪組織に潜入捜査して8年がたつ警察官ジャソンは、自分と同じ中国系韓国人で組織のナンバー2であるチョン・チョンが自分に対して信頼を寄せていることを知り、組織を裏切っていることに複雑な思いを抱く。しかし、警察の上司カン課長の命令には従うしかなく、葛藤する日々を送っていたある日、組織のリーダーが急死。後継者争いが起こる。カン課長はその機に乗じて組織の壊滅を狙った「新世界」作戦をジョンソンに命じるが……。(映画.comより引用)

 

感想

 イ・ジャソンは偽りの世界で生きている。警官であることを隠し犯罪組織の一員として生き。警察の犬であると疑われて暴行を受け殺される犯罪組織の男を見殺しにし。(本人は知らないが)自分の子を妊娠している妻でさえ警察の監視員であり。カン課長が創り上げジャソンを巻き込んで進む「新世界プロジェクト」という大きな車の前では、ジャソンはたかがちいさな歯車に過ぎない。しかしその偽りの世界にたった一つ本物が混じっている。それがチョン・チョンとの友情だ。

 チョン・チョンはジャソンに会うたび「ブラザー」と呼ぶ。それは信頼の証しだ。親愛のしるしだ。ジャソンの正体を知り、警察の連絡係と組織内部に入りこんだ警察の犬を惨たらしく始末した後でも、それは変わらない。ジャソンは彼のブラザーであり、彼はジャソンのブラザーだ。カン課長はジャソンを利用するだけ利用する。その姿には、部下の最期の頼みを聞いて禁煙し、タバコを断る場面には、しかし悲哀が漂っている。大義のために自らの創り出した「新世界プロジェクト」の前でちいさな歯車に過ぎないのは、彼も、惨たらしく殺された彼の部下たちも変らない。カン課長は歯車としての役目をまっとうしようとした。彼にとってそれは、ジャソンをプロジェクトに必要なだけ働かせることを意味した。だからジャソンにとってチョン・チョンがそうであったもの、彼のブラザーにはなれなかった。チョン・チョンにとってジャソンは、あくまでも一緒に鉄砲玉として敵に突っ込んでいった友であり、組織よりも守るに値する者であり、死を迎える時そばにいてほしいたった一人だったからだ。

 ブラザー。それはまるで呪いだ。チョン・チョンが何かと構ってくるのに、捜査対象と距離を取らねばと自らに言い聞かせるようにジャソンはそっけなく対応する。そんなジャソンにくり返し発せられるその言葉は、しかし死にゆく男の口から発せられた時、愛の言葉になる。ブラザー。強くなれ。強く生きろ。これまで運命に翻弄されるばかりだったジャソンが、この映画で自ら動き出すのはここからだ。邪魔者を消し。真実を葬り。帰る場所をなくし。自分の本当の姿を知っていたたぶんたった一人の人を失ったまま、ジャソンは高みに上る。どうせそれも長く続きはしない。滅ぼされてもまた別の誰かがのし上がる、ここはそういう世界だ。しかし今はここが彼の居場所だ。ここは獣の世界であり、強くなくては生きていけず、彼は生きていかなければならない。ブラザーがそう言ってくれたのだから。

 

ちなみに

・ラスト近くの暗殺に使われたタクシーの運転手がどうなったのか気になるところである。

 

・イ・ジャソン役イ・ジョンジェとチョン・チョン役ファン・ジョンミンが再共演する”Deliver Us From Evil(英題)”が気になるところである。

IMDBページ↓

www.imdb.com

予告編↓(英語字幕あり)

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IMDBのあらすじと予告編を見ると、殺し屋ファン・ジョンミンが自らと関係のある誘拐事件を解決すべくタイへ向かい、自分が殺した男のきょうだいに追われていると気づく、という話らしい。

このコミュニケーションの時代のディスコミュニケーションについて。「search サーチ」

「search サーチ」を観た。

※ネタバレがあります。

 

予告編

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あらすじ

 物語がすべてパソコンの画面上を捉えた映像で進行していくサスペンススリラー。16歳の女子高生マーゴットが突然姿を消し、行方不明事件として捜査が開始されるが、家出なのか誘拐なのかが判明しないまま37時間が経過する。娘の無事を信じたい父親のデビッドは、マーゴットのPCにログインして、InstagramFacebookTwitterといった娘が登録しているSNSにアクセスを試みる。だがそこには、いつも明るくて活発だったはずの娘とは別人の、デビッドの知らないマーゴットの姿が映し出されていた。「スター・トレック」シリーズのスールー役で知られるジョン・チョウが、娘を捜す父親デビッド役を演じた。製作に「ウォンテッド」のティムール・ベクマンベトフGoogleグラスだけで撮影したYouTube動画で注目を集めた27歳のインド系アメリカ人、アニーシュ・チャガンティが監督を務めた。(映画.comより引用)

感想

 この映画、触れ込み通り、すべてPC画面で構成されている。仲の良い微笑ましい家族の姿を描く冒頭から、失踪した娘の友人関係、SNS、行き先を探るところまで、我々はPC(及びインターネット)にこれほどの痕跡を残しているのだな、と正直少々ぞっとしてしまう。メッセージ、Facebook、Youchat(本当にあるのか?)Instagram、人と繋がる手段はこんなにもたくさんある。リアルで家族にも見せない顔を、リアルで家族に見せられないからこそ、SNS上の「友だち」に見せる、という行為がたやすくできる。今はそういう時代である。しかし多種多様なコミュニケーション手段を見せてはいるが、これはディスコミュニケーションについての映画だ。どれだけSNSで自分をさらし、友だちと繋がり、あるいは同じ家に住んでいる家族と日常的にメッセージのやりとりをしても、真に「繋がれる」かどうかはわからない。SNS上であなたを見ている友だちは実は自分で言っているのとは違う人物かもしれないし、生まれた時から知っていて毎日やりとりをしている相手はあなたの気持ちをわかってくれないかもしれない。マーゴットとのメッセージのやりとりで、デビッドはある一言を言えずに送信をやめる。マーゴットのYouChatの動画に残されていた、亡き妻の誕生日の彼もそうだ。この時デビッドは、本当はその日が何の日なのかについての話をしたかったのに、飲みこんで、当たり障りのないTV番組の話にすり替えているように見える。それを見たマーゴットも、失望した顔はすれど、死んでしまった母親の話をしようとはしない。キム親子のディスコミュニケーションは、このように、それぞれに言葉を飲みこんでしまったことに由来する。そして失踪したマーゴットともう一度繋がるために必要なのは、飲み込まれた言葉だ。もう一度彼女とコミュニケーションをとるために、今度こそデビッドは諦めない。そしてラスト、彼は吐き出すのだ。あの時どうしてもわが子に送ることのできなかったその一言を。

 

好きなシーン

・ネット上に亡くなった人の動画・写真をアップロードするサービスのための素材を選んでいて、デビッドは娘を理解できていなかったし救えなかった自分を、幼いマーゴットが「最高のパパ」と呼んでいる動画だけ削除し、他は全部アップロードする。自分は「最高のパパ」なんかじゃなかったという自責の念と、大事な娘の動画、写真を選ぶことなんてできないという愛情と…

 

ちなみに

 ・監督アニーシュ・チャガンティの新作“RUN”も不穏で面白そうである。

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・続編の製作が進行中の本作だが、続編ではまったく異なるキャラクターの物語が描かれるそうで、監督も本作で編集チームにいたウィル・メリックとニック・ジョンソンになるそうである。

deadline.com

 

籠の鳥は、ド派手に飛び立つ。「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」を観た。

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

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あらすじ

スーサイド・スクワッド」に登場して世界的に人気を集めたマーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインが主役のアクション。悪のカリスマ=ジョーカーと別れ、すべての束縛から解放されて覚醒したハーレイ・クイン。モラルのない天真爛漫な暴れっぷりで街中の悪党たちの恨みを買う彼女は、謎のダイヤを盗んだ少女カサンドラをめぐって、残忍でサイコな敵ブラックマスクと対立。その容赦のない戦いに向け、ハーレイはクセ者だらけの新たな最凶チームを結成する。マーゴット・ロビーが自身の当たり役となったハーレイ・クインに再び扮し、敵役となるブラックマスクをユアン・マクレガーが演じた。監督は、初長編作「Dead Pigs」がサンダンス映画祭で注目された新鋭女性監督キャシー・ヤン。(映画.comより引用)

 

感想

 映画「スーサイド・スクワッド」のいい部分の大半はマーゴット・ロビーハーレイ・クインが見られたところではないだろうか。しかし「スーサイド~」で描かれるハーレイ・クインのオリジンはジョーカーと恋に落ち、洗脳されるような形でクレイジーな行為をするようになり、文字通り「彼の色に染められる」、というもの。「おいおいおい完璧にその男別れた方がいいやつだぜ」と言いたくなってしまった。そして実際にジョーカーと別れた(というか彼に捨てられた)後のことが描かれているのが本作である。

この映画のハーレイ・クイン、本当にいい。自分の身が危なくなったら子どもでも売ろうとする、びっくりの倫理感のなさなのだが、不思議と許してしまう魅力的なキャラになっているのだ。今までジョーカーの恋人ということで許されていたが、ジョーカーの後ろ盾を失ったことでいろいろな人間に命を狙われ、莫大な金につながる手がかりであるダイヤを盗んだ子どもを自分の命を救うために捕まえることになるというストーリーで、ハーレイのやることはどれもこれも成り行き任せの行き当たりばったりなのだが、そこには自由がある。「スーサイド・スクワッド」での彼女は、一見自由で破天荒なように見えたけれども、実際にはオリジンのストーリーからしてジョーカーが影を落としている部分もあった。しかし、この映画ではそれがない(ジョーカーは顔も映らない)。真に自由でやりたいことだけやっているハーレイ・クインがここにいる。

この映画、恋に落ちた相手ジョーカーのために悪行に手を染めたハーレイ・クインしかり、ブラック・マスクに「小鳥」として仕えていたブラック・キャナリーしかり、男性刑事に手柄を横取りされて出世できないレニー・モントーヤしかり、男性のために働き、報われなかった女性が「小鳥」から「猛禽(bird of prey)」になって籠の中からはばたいて大暴れするわけなので爽快でないわけがないのである。「お前は一人では生きられない」「お前には私が必要だ」とブラック・マスクは言う。これは映画の外でも女性たちが言われてきたことだ。そんな呪いの言葉なんてぶっとばせばいいことを、女性たちだけで立派にやっていけるのだということを見せてくれる、これは痛快な映画である。

 

ちなみに

・ブラック・キャナリーが「キラーボイス」で敵をふっとばすシーン、コミックになじみのない人には取ってつけたように見えたかもしれないが、コミックのブラック・キャナリーは元々これが必殺技です。

 

・などとさもDCコミックスに詳しいような言い方をしてみたが別にそれほど詳しいわけでもないので、カサンドラ・ケインが登場するものは読んだことがない。しかしコミックのカサンドラはこういう人↓である、という知識はあったため、本作のカサンドラは「あれ…だいぶ違うね…?」となってしまった。映画版に近いようなカサンドラが登場するアースもあるのだろうか。

warnerbros.co.jp

カサンドラ・ケイン&ブラック・キャナリーはDCの最強キャラクターランキング(スーパーパワーではなく格闘時の強さに焦点をあてたもの)に複数ランクインしている。

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「フツーの子」がヒーローになる瞬間。「シャザム!」

 

「シャザム!」を観た。

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

 

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あらすじ

「スーパーマン」や「バットマン」と同じDCコミックスのヒーロー「シャザム」を映画化。見た目は大人だが中身は子どもという異色のヒーローの活躍を、独特のユーモアを交えて描く。身寄りがなく里親のもとを転々としてきた少年ビリーはある日、謎の魔術師からスーパーパワーを与えられ、「S=ソロモンの知力」「H=ヘラクラスの強さ」「A=アトラスのスタミナ」「Z=ゼウスのパワー」「A=アキレスの勇気」「M=マーキューリーの飛行力」という6つの力をあわせもつヒーロー「シャザム(SHAZAM)」に変身できるようになる。筋骨隆々で稲妻を発することができるが、外見は中年のシャザムに変身したビリーは、ヒーローオタクの悪友フレディと一緒にスーパーマン顔負けの力をあちこちで試してまわり、悪ノリ全開で遊んでいた。しかし、そんなビリーの前に、魔法の力を狙う科学者Dr.シヴァナが現れ、フレディの身に危険が及んでしまう。遊んでいる場合ではないと気付いたビリーは、ヒーローらしく戦うことを決意するが……。シャザム役はTVシリーズ「CHUCK チャック」のザカリー・リーバイ、監督は「アナベル 死霊人形の誕生」のデビッド・F・サンドバーグ。(映画.comより引用)

 

感想―ヒーローものとしての「シャザム!」

 主人公ビリーは幼い頃迷子になった時以来里親を転々としながら母親を探している、というバックグラウンドはあるものの、それ以外はごくごく当たり前の14歳の子どもである。「悪をくじき正義を行い人々を救うのだ!」という、たとえば同じDCのヒーローであるバットマンやスーパーマンが背負っているような覚悟は、パワーを手に入れた当初の彼にはない。だから手に入れたパワーで彼が自分からやることは、指からビームを出したり、道行く人とセルフィーを撮ったりしてお小遣い稼ぎをすることだ。ひったくりや強盗を止めたりしているのは、あくまで「たまたま現場に居合わせて」「たまたま止めるパワーがあったから」である。これが「だよねー」と思ってしまった。普通の14歳の子どもが、何だかすごいパワーを手に入れたからって、いきなりヒーローになれるわけがないのだ。「なんか超速く動けるかも。なんか銃で撃たれても平気かも。すげー。他に何ができるんだろうな?」となるのが普通だろう。

 この映画がヒーロー映画として興味深いのは、「何か凄いパワーを授かったらしいがはて、何ができるのかな」と、ヒーロー自身が探求していく姿を描いているところだと思う。飛べるのか?飛べるにしてもどうやって?スーパーマンはどっちの手をどうやって飛んでるの?いかにも実際に飛ぼうとした時に困りそうなポイントである。アイアンマンやバットマンのような自分自身にスーパーパワーが授かったのではなく、強くなるために装備を作り体を鍛えるタイプのヒーローでは訓練シーンは結構見る気がするけれども、スーパーパワー系のヒーローでは珍しいのではないだろうか。

 

感想―家族の物語としての「シャザム!」

この映画、ヴィランがいかに生まれたかを最初の方に持ってきているのだが、このヴィランの兄と父が正にトキシック・マスキュリニティの見本のようで、復讐シーンはむしろ「やったれやったれ!」となってしまった。一方で主人公ビリーは幼い頃に別れた自らの母親との思い出を大事にし彼女を探し続ける。彼は「本当の家族ではない」里親および他の子どもたちを最初は受け入れることができない。それなのに、彼はたった一つのよりどころだった母親を失ってしまう。やっと探し当てた彼女にとって自分がずっと抱えていた思い出は大事なものではなかったことを知り、自分が結局は捨てられたのだということを悟るのだ。ビリーはその後、フレディたちの危機を知って彼らを救うべく変身するが、ビリーがヒーローになるのはこの瞬間だ。だってこれが初めてではなかっただろうか。「たまたま目の前で起こったから」「たまたまそれができるパワーがあるから」ではなく、「この人たちを助けたい、助けなければ」そういう気持ちからビリーが変身したのは。そしてこの瞬間はまた、ビリーが「自分を大事にしてくれない家族」に背を向け、「自分を受け入れてくれた人たち」を家族として受け入れ始めた瞬間でもある。

パワーが人をヒーローにするのではない。成り行きで人を助け、自分のパワーが原因で道路から落ちそうになったバスを受け止めていた頃のビリーはヒーローとは言えない。空を飛び異形のものを招喚する人ならざる力ならDr.シヴァナだって持っていた。しかしDr.シヴァナがヴィランにしかなれないのは、自分を苦しめた「人に頼るな。男なら自分で戦え」という呪いと戦うのではなく、手に入れた力でその呪いを人に押しつける側にしかなれなかったからだ。自分を受け入れてくれる新たな家族を築くのではなく、自分を愛してくれない家族を物理的に消すことしかできなかったからだ。Dr.シヴァナの片目に最後に残されたのが七つの大罪の中でも「嫉妬」なのはだから、偶然ではない。ビリーはDr.シヴァナが嫉妬せざるを得ない存在だ。単に自分ではなくビリーがシャザムに選ばれたというだけではない。選ばれた理由が重要だ。ビリーが選ばれたのは、彼が自分を捨てて傷つけた母親のもとを、彼女を傷つけずに離れることができたから。自分で選び取った家族に頼り、一緒に戦うことができたから。幼い時迷子になる前に欲しかったトラのぬいぐるみを巻き込まれた子どもに差し出して、その子が父親と一緒に家に帰れるように戦ったから―特にこのシーンは、まるで幼い頃の自分を救っているかのようだ―ビリーはDr.シヴァナがやるべきだったこと、やっていたら幸せになれたであろうことをやれる、そういう子だったのだから。

この映画でビリーがヒーローであることが、それがヒーローである理由だということが、私はうれしい。家族の呪いを断ち切ることができた人は皆ヒーローだから。

 

好きなシーン

・「いい兄ならそうする」。

・ヒーローバージョンのペドロが最初の攻撃を受けた時、「ひいいいい」みたいな顔をして目をつぶっている。そりゃそうだ。

・せっかく「私はこれからこのパワーで世界を征服するのだ!」と悪の親玉的な演説をしているのに遠いから声が届かないDr.シヴァナ。ふびん。

 

ちなみに

・Dr.シヴァナに利用され、洞窟への扉が開いた時に塵になってしまう研究者の顔にぴんときた人はホラーファンではないだろうか。この人はロッタ・ロステンという女優さんで、夫である本作の監督、デビッド・F・サンドバーグと一緒に恐ろしい短編ホラーを世に送り出してきた人。あの役員会議のシーンもかなりホラー味があったよね。ここから観られます。

 

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・シャザムはかつてキャプテン・マーベルという名前だった。フォーセット・コミックスが作ったキャラクターで、初登場は1939年、一時はスーパーマンをも上回る売り上げを記録したが、DCコミックスに「キャプテン・マーベルはスーパーマンのコピーである」と訴訟を起こされた結果、1953年にフォーセット・コミックスはキャプテン・マーベル関連作品の出版を停止、1972年にキャラクターのライセンスはDCコミックスに譲渡される。しかしその頃にはマーベルが「キャプテン・マーベル」というキャラクターを作りトレードマークを取得していたため、DCは「シャザム!」を使って新たにキャラクターを売り出そうとする。その結果、「シャザム!」がキャラクター名として定着していった。2011年、DCはキャラクター名を「シャザム」に改名している。

 

・フレディ役のジャック・ディラン・グレイザーは「ビューティフル・ボーイ」でティモシー・シャラメ演じるニックの少年時代を演じていたが、たいへん説得力がありました。

永遠に続くものなどない。でも。「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」

「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」を見た。

※ネタバレがあります。

 

予告編

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あらすじ

アメリカのロングセラー小説にほれ込んだモーガン・フリーマンダイアン・キートンが、夫婦役で初共演を果たしたドラマ。ニューヨーク・ブルックリンのアパートメントの最上階に新婚以来暮らしている画家のアレックスと妻のルース。眺めも日当たりも良く、最高の物件なのだが、エレベーターがないため、アレックスも年齢的に5階までの道のりがきつくなってきた。そんな夫を気遣い、この部屋を売ることを決断したルース。妻の考えに承諾したものの、本当は家を売りたくないアレックス。結局、部屋は売りに出すこととなり、内覧希望者も殺到するが、内覧日の前日に愛犬ドロシーが急病にかかり、さらに近所でテロ騒動が勃発。2人は予測不可能なとんでもない週末を迎えることとなる。監督は「リチャード三世」のリチャード・ロンクレイン。(映画.comより引用)

 

感想

 ニューヨークのアパートの売買事情が垣間見えるのだが、興味深かった。まるで株の売買をするみたいな駆け引きが休みなく繰り広げられ、ダイアン・キートン扮するルースの姪で不動産エージェントのリリーがとにかくしゃべりまくる。夫妻が住んでいるのはいくら日当たりがよい最上階だと言ってもエレベーターがない五階建てという、「ううむ、ちょっと迷うね…」となりそうな物件なのに、それでも80万ドルを超える値段がつくのである。なんだかすごい世界だ。

 夫婦がアパートを売りまた新居を見つけようとするごく限られた期間の出来事を描いているが、そのわずかな間にタンクローリーの事故が起こり現場から消えた運転手がイスラム教徒だったためにテロリストとみなされるという事件がテレビで報道されて少しっずつ進展していくさまがさらっと描かれる。この映画の冒頭、モーガン・フリーマンが買い物に出てなじみの店の主と言葉を交わして帰って来るところだけで、ブルックリンがいかに「多様」な街かがわかる。しかしそのいろいろな人々が住んでいる街でも、宗教を理由に一人の青年が簡単にテロリスト扱いされてしまう。数十年前、白人であるルースと黒人であるアレックスの結婚には家族からさえ偏見の目が向けられた。差別はまだ続いているのだ。

 

ちなみに

 ・米国におけるインターレイシャルの結婚について少し調べてみた。1967年、インターレイシャルの夫婦がヴァージニア州を相手取り裁判を起こし、最高裁がインターレイシャルの結婚を禁止する法律は違憲であるとの判決を下す。この時点で16の州にインターレイシャルの結婚を禁止する法律があったが、この判決に伴いそれらの法は効力を失う。

 しかし2009年(2009年⁉)、ルイジアナの治安判事がインターレイシャルのカップルのシビル・ウェディングを執り行うことを拒否、非難を受けて辞職した。

 また、2019年(に、にせんじゅうきゅうねん⁉)、まだ8つの州で、結婚許可証(これがなければ結婚できない)申請時に人種的なバックグラウンドを申告しなければならなかった。2019年、これを定めたヴァージニアの法律が法廷に持ち込まれた結果、違憲判決が出て、ヴァージニア州ではこの法律は効力を失った。

 この映画の作中時間を製作年である2014年とすると、引っ越してきて40年、その時点で結婚2年目らしいので二人が結婚したのが1972年。インターレイシャルの結婚の禁止が違憲であると言う判決が出てから5年後、まだまだ偏見の目は厳しかっただろうと推測できる。

en.wikipedia.org

・アレックスと心を通わせる少女は「パターソン」で書いた詩を見せてくれる女の子らしい。

 

 

 

やっとの思いで自分を癒して生きていく。「愛してるって言っておくね」

Netflixで「愛してるって言っておくね」を観た。

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

※日本語版がなかったため英語版で。

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あらすじ

ある夫婦が会話もなく食事をし、洗濯をし、TVを見る。ふたりの心が離れてしまったのにはある悲しい理由があった。台詞なし、12分の短編アニメーション映画。

 

感想

 喪失は人を結びつける、べきだ。ふたりの人間が同じものを失ったなら、ふたりはお互いの話に耳を傾け、労わりあい、慰めあい、ゆっくりと日常を取り戻して、前に進んでいく、べきだ。

 そうである「べき」なのだが、しかし、そうすることは時に、あまりにも難しい。この映画の描くふたりのように、あまりにも惨い形で、あまりにも大切なものを失ってしまった時はなおさらだ。

 こんなふうになってしまった誰かを見た時、人は言う。「あなたが失ってしまったあの人は、こんなことは望んでいない」と。この映画にもそれを表すシーンがある。ふたりが失ってしまった大事な人の魂は、離れていくふたりの心をどうにか繋ぎ止めようと懸命に両手を伸ばし、はてには地面を折り曲げてまで、無理やりにでもふたりを近づけようとする。やがて抱きしめ合うふたりの魂の間には、失われてしまったあの子がいる。

 ずっとずっと昔から、こういう理不尽な喪失に人は直面してきて、それでもどうにか先に進まなければならなかったので、自分に言い聞かせてきたのではなかっただろうか。「あの人は、こんなことは望んでいない」と。そしてやっとの思いで自分を癒して生きていく。そのプロセスを12分間という短い時間で見せてくれる、そんな映画だった。

 

ちなみに

ローラ・ダーンがエクゼクティブ・プロデューサーに名を連ねている。

 

・同じテーマを扱った作品では「ダンブレーンからの手紙」もNetflixで観られる。ある恐ろしい悲劇に見舞われたイギリスの田舎町ダンブレーンの神父が、16年後、同じ悲劇に襲われたアメリカの神父に手紙を出す。悲劇の爪痕の深さを垣間見せてくれるドキュメンタリー。

 

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