※ネタバレがあります。
展開にびっくりしたりするような映画ではないのですが、個人的にはあまり前情報を入れない方がいいような気がします。
あらすじ
命を危険にさらすとわかりながらも、捨てきれぬロデオへの想い。事故で大怪我を負ったカウボーイは、後遺症による恐怖と葛藤しながら、新たに生きる意味を探す。(Netflix公式サイトより引用)
感想
いいものを観た。まず映像がとにかく美しい。どこまでもどこまでも果てなく続いているかのような荒野を、物言わぬ馬という生きものの激しさとうつくしさを、驚嘆を禁じ得ないよな鮮やかさで映し出すジョシュア・ジェームズ・リチャーズのカメラ。リチャーズは本作の監督クロエ・ジャオの新作「ノマドランド」でも撮影を担当し、アカデミー賞にもノミネートされているのだが、それも納得である。主人公のブレイディが生まれ育ち、その一部であるような荒野と、彼がどうにか馴染もうとする外の世界の象徴としてのスーパーの、人工的な照明が照らし出す「つくりもの」感の対比よ。大量生産の商品を棚に並べていくブレイディは、まるでエリザベスカラーをつけられたけもののように痛々しく滑稽だ。ここはどうしたって彼の世界ではない。
しかしこの映画が素晴らしいのは、自分の属する世界を失ってしまった青年が、絶望や自暴自棄を、その果ての自死や自らの安全を顧みない危険な行為を、選ばないことだ。ブレイディはアポロを殺せない。たとえその引き金が、結局は彼の父によって引かれるのだとしても。なぜならアポロはブレイディ自身だから。傷つき、本来あるべき姿でいられず、やるべきことをやれなくなったブレイディそのものだから。ブレイディは自分を殺すことができないのだ。
とはいえその後もブレイディは揺らぐ。やはり自分のいる場所はロデオ会場ではないか。馬の上ではないか。カウボーイは馬に乗るべきだ。馬に乗れなくなったらその時は...その時は? 銃をこめかみにあてるのか? 危険だとわかっていながら、怪我をした体でそれでも馬に乗るのか?
ブレイディの選択はそのどちらでもない。馬の背に揺られ、風を感じ、荒馬にまたがることが、もはや彼にはできない。けれどそれでも彼は、生きていく。生きていていいのだ。父親と抱擁したあの時に、ブレイディはもう馬に乗ることのできない自分を、やっと許すことができたのだ。
ちなみに
・クレジットを観てびっくりしたのだが、この映画は主演のブレイディ・ジャンドローの実体験を基にしている。彼だけではなく、妹役は実際の妹が、父親役は実際の父親が演じている。レインも実際に同じ境遇にあるブレイディの親友だそうだ。
このあたりはこちらの記事に詳しい。
・クロエ・ジャオ監督の新作「ノマドランド」でも同様の手法が取られているらしい。
・そしてクロエ・ジャオ監督の次回作と言えばマーベルの「エターナルズ」である。機密条項があったために、オファーを受けるまで脚本を読ませてもらえなかったサルマ・ハエックは、クロエ・ジャオ監督が大好きだからとオファーを受けたそうです。いったいどんな映画になるんだ。