映画を観る準備はできている。

映画についてのいろいろな話。

義実家のしきたりなどクソくらえ!「レディ・オア・ノット」

 

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

 

www.youtube.com

日本語字幕付きの予告編はこれしか見つからず。字幕なしの長いバージョンはネタバレしすぎじゃなかろうかと思うのでこちらを貼っておきます。

 

あらすじ

 

生死を賭けたサバイバルゲームで富を築く大富豪一族に嫁いだ花嫁が、一族の伝統儀式と称する命懸けの「かくれんぼ」に巻き込まれる姿を描いたリベンジアクション。大富豪一族に嫁ぐことになったグレースは、結婚式の日の夜、一族の一員として認めてもらうための伝統儀式に参加することになる。その儀式とは、一族総出で行われる「かくれんぼ」だった。夜明けまで逃げ続けるように告げられたグレースは戸惑うが、やがて一族全員が武器を手に自分の命を狙っていることを知る。訳も分からず絶体絶命の状況の中、グレースも戦うことを決意するが……。監督はホラー映画を得意とする製作集団「ラジオ・サイレンス」の一員でもあるマット・ベティネッリ=オルピンとタイラー・ジレット。主人公グレース役は「スリー・ビルボード」のサマラ・ウィービング。(映画.comより引用)

 

 

 

感想―ホラー映画としての「レディ・オア・ノット」

 最後まで楽しく観られた一本。義実家を訪れた女性が大勢を敵に回して奮闘する、と聞くと「サプライズ」(アダム・ウィンガード監督)を思い出してしまう。「サプライズ」のエリンはある事情からサバイバルスキルに長け、「なんでそこでそうしちゃうのー!!」というホラー映画あるあるのもどかしさを覚えさせない、ハイレベルにできる主人公であり、彼女が戦わねばならないヴィランたちもまた、プロフェッショナル感のあるできる奴らであった。しかし「レディ・オア・ノット」では、主人公グレースも、彼女が敵に回す義実家の人たちも、そこまでハイレベルな殺人スキルに長けてはおらず、「うっかり」で死亡する人がほとんどであり、その死にざまがユーモアになって(!)いて、えげつないホラーが苦手な人でも見られるくらい、ホラーレベルとしては低めに仕上がっている(途中でイタタタタなシーンはあるけれども)。折れた柵や麻酔銃を回収しなかったりと、つめのあまいところもあるのだが、ウェディングドレスの裾を破り、走ったり落ちたり格闘したり、サマラ・ウィーヴィングは鬼気迫る姿を見せてくれた。

 

感想―泥沼離婚劇としての「レディ・オア・ノット」

 さて、ここからが本題である。本作は、夫の家のしきたりのことをまるで知らずに結婚した妻が、そこでのあまりに前時代的、非倫理的な仕打ちに耐えかねて離婚するまでを描いた物語だ(いろいろ省いてはいるが、この要約は間違ってはいないと思う)。グレースの夫アレックスははじめのうちは少なくとも同情すべき点のある味方として描かれるが、実は最初から難ありまくりの夫である。自分と結婚することによってグレースが命の危険に晒される可能性があると知っていたのであれば、最初からそれを明かした上で結婚するか否かの判断は彼女に任せる/そもそも結婚を選ばず恋人のままでいるという選択肢はあったにもかかわらず、前者の選択肢は「グレースを失いたくないから」後者の選択肢は「グレースが結婚を望んだから」と、アレックスはどちらも選ばない。グレースが何も知らない状態で儀式に臨み、限りなくアンフェアな状況の中で生き残りを賭けたゲームに参加することになったのは、まさにアレックスが「どちらも選ばなかった」からだ。母親との会話で、「グレースが死んだらあなたを殺す」と勇ましいことを言っておきながら、殺されそうになったグレースが反撃して母親を殺すと、一転して家族と一緒になってグレースを殺そうとするのもそう。アレックスは家のしきたりに従いたくないと口では言いながら、結局は自分の家の「色」にどっぷり染まってしまってそこから抜け出せない男なのだ。ここまで極端な話でなくとも、似たような話はそこらへんに転がっている。なんと多くの人が、結婚した後になって、義家族に酷い仕打ちを受けたのにもかかわらず自分の夫/妻が自分ではなく義家族の味方をして傷ついたという話をしているだろうか。この物語が痛快なのは、「昔からうちではこうだから」という、理解しがたいルールをこちらに強制しようとする(そのためにかつて愛する人を失ったエレーヌまでが今度はそのルールを新入りに強制しようとするあたり業が深い)義家族が、結局はグレースという新たに家族の一員になるはずだった人間による反抗のせいで破滅する姿を描いているからだ。ラスト近くの展開については、アレックスは最後までグレースの味方をしていればああはならなかったのではないかと思う。血によって結ばれた家族をとるか自分で選び取った妻をとるか、態度をはっきりさせないからああなるのです。

 

ちなみに

主演のサマラ・ウィーヴィング、おじはヒューゴ・ウィーヴィングだそうです。