映画を観る準備はできている。

映画についてのいろいろな話。

話など通じない。「コンジアム」

 

 

※ネタバレがあります。

 

予告編

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あらすじ

CNNが選出した世界7大心霊スポットにも数えられた実在の廃病院「コンジアム精神病院」を舞台に、忌まわしい場所に足を踏み入れた若者たちの運命をPOV形式で描いた韓国製ホラー。YouTubeで恐怖動画を配信する人気チャンネル「ホラータイムズ」が一般参加者を募り、数々の都市伝説を生んだ心霊スポットであるコンジアム精神病院からのライブ中継を計画する。主宰者ハジュンを隊長とする7人の男女は、いくつものカメラやドローン、電磁検出器といった機材を持ち込み、深夜0時に探索を開始。ハジュンが仕掛けた演出も功を奏し、サイトへのアクセス数は順調に伸びていくが、次第にハジュンの想定を超えた怪現象が次々と起こり始める。キャストに小型カメラを装着して大半のシーンを彼ら自身に撮影させるという手法をとり、リアリティと臨場感を追求した。(映画.comより引用)

 

感想

 筆者はホラー映画が好きである。しかしホラー映画の中にも苦手な分野があり、本作「コンジアム」は実はその分野のど真ん中に位置する。要するに心霊ものが苦手なのだ。理由は怖いから。いやいや怖いの見たくてホラーを観るんでしょ、と思われるかもしれないが、たとえば殺人鬼が襲ってくるスラッシャー系であれば狙われている主人公側が反撃することも可能だし、それが物語のカタルシスにつながる場合もある(「サプライズ」がいい例だ)。同じく幽霊だの呪いだのが出てくるホラーでも、「この霊はその昔恋人と引き離されたことに恨みを抱いて暴れているので恋人の骨と一緒に葬ってやれば鎮まるはず」みたいな、「対処法がある」ものであれば面白く観ることができる。しかし!本作「コンジアム」はちがう。「コンジアム」に出てくる「ものたち」は、そもそも誰なのか、なぜ人を襲うのか、なぜこの世に留まっているのか、何もはっきりとは語られない。ただコンジアムに足を踏み入れたものに、何も要求せず、何も語らずに襲いかかる、それだけだ。この種の亡霊に当たったらどうすればいいのですか。どうにもしようがない。悲鳴を上げて逃げ回るしかない。だから怖いのである。だから苦手なのである。

 個人的にジヒョンが変貌するところとシャーロットが白い人を見るところが「いやあああああ」ポイントであった。シャーロットが白い人にライトの光を当てるんだけど、わかる。見えたら怖いんだけど見えないのも怖いんだよ。だからいわくつきの精神病院なんかに足を踏み入れるものじゃありません。絶対肝試しなんか行かないからな!

 

ちなみに

 

・「韓国ホラー歴代二位の興行収入」と宣伝されている。ちなみに一位は「箪笥」だそうである。

 

↓これは私の「箪笥」感想だよ!よかったら見てね!

herve-guibertlovesmovies.hatenablog.com

 

・役名はみんなそのキャラクターを演じる俳優の名前と同じである。

 

・公式サイトを見るとキャストの一人、イ・スンウク氏の紹介が何やら意味ありげな感じになっているが、これは彼が「コンジアム」を最後に活動を中断しているからと思われる。本人はこのように↓語っているようなので、そっとしておいてあげてほしい。

 

www.wowkorea.jp

 

ビジュアルで魅せる怖さ「スケアリーストーリーズ 怖い本」

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

 

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あらすじ

シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞を受賞したギレルモ・デル・トロが企画・製作を手がけ、恐ろしい内容や挿絵のために全米で学校図書館に置くことに対する論争が巻き起こった児童書シリーズを映画化。ハロウィンの夜、町外れにある屋敷に忍び込んだ子どもたちが一冊の本を見つける。その本には数々の恐ろしい話がつづられており、本を持ち帰った次の日から、子どもがひとりまたひとりと消えていく。さらに、その「怖い本」には、毎夜ひとりでに新たな物語が追加されていき……。原作は1981年に第1作が発表されたアルビン・シュワルツによるベストセラー児童書 「スケアリーストーリーズ 怖い本」 シリーズ。「ジェーン・ドウの解剖」「トロール・ハンター」のアンドレ・ウーブレダル監督がメガホンをとった。(映画.comより引用)

 

感想

 

 ストーリーをあまり知らずに観た。アンソロジーなのかと思っていたらいろいろな怖い話をうまいこと一本の長編映画にまとめあげた感じなのね。「案山子のハロルド」や「赤い点」は正に「どこかで聞いたことあるような気がする怖い話」でオリジナリティがあるわけではない。しかし映像化のセンスがいいせいで、観ていて「ひいいいいい」となること請け合いである。ハロルドのビジュアルの絶妙な不気味さよ。「赤い点」の「出てきたそれがひくっと動いて脚(何の脚かは武士の情けで言わずにおくことにする)であることがわかる」描写よ。「夢」なんてただ「どっちに逃げてもPale Ladyがいる」というシンプルなアイデアなのだが、Pale Ladyが怖い!走ることはできるのにどっちを向いてもPale Ladyがいる!いやあああああ!

 そしてそして、Jangly Manである!

 暖炉から頭が、胴体が、手足が、ばらばらに落ちてきて合体し、関節が思いもよらない方向にねじくれてこっちに向かってくるJangly Man!怖い!怖いぞ!

 このJangly Man、ぜひ本編でその姿を確かめてもらいたいのだが、その不気味な姿は当然全部CG…と思っていたら、実はこれ、俳優さんが演じているのである!

 

 

  

ew.com

 

 

 

演じるトロイ・ジェームズさんはAmerica’s Got Talentに出演、にこにこと自己紹介をした後、なんかもう凄い動きで審査員及び観客に悲鳴を上げさせて話題になった人。それまでは普通に仕事を持ち、この「芸」は趣味程度のもので、ステージで披露することはなかったという。体が柔らかいのも生まれつきだとか。

 

(これがその映像だ!↓)

 

www.youtube.com

 

 

 この人の演じるJangly Manがビジュアルから動きから本当に素晴らしい!このようにクリーチャーに力を入れた、文句なく楽しいホラー映画でありました。

 

ちなみに

 

 ・“wet back”がなぜ「不法入国者」なのかと言うと、「メキシコから背中(=back)を濡らして(wet)リオ・グランデを渡り、やって来る不法移民」の意味で用いられた語だから。転じて徒歩や車でやって来る不法移民をもwet backと呼ぶようになった。差別的なニュアンスを持つ言葉なので使ってはいけない。

 これ↓は2013年、アラスカの議員がこの言葉を使ったため非難にあって謝罪を余儀なくされたというニュース。

  

www.latimes.com

 

 

・たぶん一昔前ならステラとラモンはカップルになっていたところを、キスシーン一つなく終わらせてくれてよかった…と思ったりするのだった(異性愛関係にない男女の物語が好きなひと)。

呪いを解き憎しみと戦う「パディントン2」

 

※ネタバレがあります。

あらすじ

 

1958年に第1作が出版されて以降、世界40カ国以上で翻訳され、3500万部以上を売り上げるイギリスの児童文学「パディントン」シリーズの実写映画化第2弾。ペルーのジャングルの奥地からはるばるイギリスのロンドンへやってきた、真っ赤な帽子をかぶった小さな熊のパディントン。親切なブラウンさん一家とウィンザーガーデンで幸せに暮らし、今ではコミュニティの人気者だ。大好きなルーシーおばさんの100歳の誕生日プレゼントを探していたパディントンは、グルーバーさんの骨董品屋でロンドンの街並みを再現した飛び出す絵本を見つけ、絵本を買うためパディントンは窓ふきなど人生初めてのアルバイトに精を出していた。しかしある日、その絵本が何者かに盗まれてしまう事件が発生し、警察の手違いでパディントンが逮捕されてしまい……。イギリスの人気俳優ヒュー・グラントが、新たな敵役フェリックス・ブキャナンを演じる。

 

予告編

 

 

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感想

 第一作はとても素晴らしかった。しかしこの第二作、それさえ超えてきた感がある。何だろうか、この多幸感。人の善なる心を信じる気持ちに満ちたパディントンを見ていると、「と、とうとい…」と思ってしまう。冒頭のパディントン出勤(?)シーンや、自転車VSパディントンとお友だちのチェイスシーン、りんご飴の新しい使い方、脱獄シーンなど、いわゆるアニメ的な動きのあるすべてのシーンが見ていて楽しい。

 そしてこの映画、第一作に続き第二作でもヴィランは血縁がらみの事情があって悪事を働き、そこに血縁ではないパディントンを家族として受け入れているブラウン家が絡む、という構造が共通していて、「血縁に囚われず、大切な人(クマ)を大切にしましょう」というメッセージが揺るぎなくあって、そこがいいですね。

 

呪いの言葉が解かれる時

 

ナックルズがパディントンと一緒にマーマレード・サンドウィッチを作り、その反応を訊ねるシーンがある。応えようとしたパディントンを遮って、彼は言う。以下はその時のナックルズの英語の台詞(※ヒアリングしたものなので正確ではない可能性があります)。

 

They hated us! I knew it!

My father always said that I amounted naughty, and he was right!

気に入らないんだろ!やっぱりな!

父親がいっつも言ってたよ、お前はだめになるってな、当たってたわけだ!

 

この台詞で、大柄で恐ろしげなナックルズが、「お前はだめになる」という父親にかけられた言葉を引きずっていることが明かされる。答えようとしたパディントンを遮っているところにも注目したい。子どもの時にお前は駄目だと言われ、それを信じてしまうと、人は「自分が駄目ではない」という言葉を信じられなくなる。更には、「自分が駄目ではない可能性」を拒否するようになる。ここで起きているのはそういうことだ。ナックルズは自分をだめな人間だと思っているがために、「お前はだめだ」という言葉しか期待できないのだ。しかし囚人たちは絶賛と拍手で彼を迎え、そのために彼の自尊心は回復される。めっちゃいいシーンである。

 

ブラウン家+隣人のみんなVSゼノフォビア

 

ブラウン家の一同が車に乗り込んでパディントン救出に向かおうとする時、立ちはだかるのがパディントンを熊だからと危険視する隣人、カリー氏だ。

ここでミスター・ブラウンが言ってやる台詞がこれだ。

 

あんたは最初からそうだ/クマだというだけで偏見を持つ/だがパディントンは誰にでもいい部分を見つける/だから誰とでも友達になれる/彼が来てからみんなハッピーになった/彼は親切を惜しまない/どくんだ カリーさん 我々は行く!

 

ここでちょっと冒頭のパディントン通勤(?)シーンを思い返してほしい。

パディントンは家を出て、まず黒人女性に自転車に乗せてもらう。この時に相手を「マドモワゼル」と呼んでいることから、恐らく彼女はフランス語話者の移民なのだろうことが示唆される。演じるマリー・フランス・アルバレスは実際にフランスでコンゴ人の母とスペイン人の父の間に生まれ、英語作品にもフランス語作品にも出演している女優だ。パディントンが鍵を忘れないように声をかけるジャフリ先生を演じるのはインド系のサンジーヴ・バスカー。新聞をくれる売店のミス・キッツは白人女性、パディントンをゴミ収集車に乗せてくれるバーンズさんは黒人男性だ。人種的、民族的バックグラウンドにかかわらず、パディントンはすべての人に分け隔てなく礼儀正しく接し、友好的な関係を築いている。

そこでブラウン家の前にカリー氏が立ちはだかるシーンに戻ろう。パディントンをクマだからと忌み嫌うカリー氏は、移民や外国人に差別的な目を向けるレイシストの象徴だ。ミスター・ブラウン(をはじめとしたブラウン家の面々)はカリー氏と同じ白人である。ミスター・ブラウンは同じ白人であるレイシストに相対して、あくまでも移民の象徴であるクマ=パディントンの側に立つのである。マイノリティが差別される時、差別者と同じ属性を持つマジョリティが差別に反対することはとても重要だ。ミスター・ブラウンがここで行っているのはそういうことだ。

そしてかねてからパディントンと交流があった隣人たち――様々な人種・年齢・性別からなる彼等が、力を合わせてブラウン家の車を押した時、私は実際に起こった出来事を重ねずにはいられなかった。

 

二〇二一年五月、スコットランドグラスゴーで、早朝、移民局に二人の男性が拘束された。この出来事は午前中に二〇〇人が集まるデモに発展、デモ参加者たちは「彼らは隣人だ、解放しろ」と叫んで二人を乗せた車両を取り囲み、一人は車を発進させまいと車体の下にもぐりこんだ。

 

 

www.theguardian.com

 

彼らの抗議の甲斐あって、二人は解放された。これがその時の映像だ。

 

 

www.youtube.com

 

パディントンのために頑張った、ブラウン家の人々と隣人たちの姿がここにある。

 

ヒュー・グラントは憎めない

 

ヒュー・グラント演じるフェニックス・ブキャナンは、財宝を奪って返り咲きを図ろうとし、そのために無実のパディントンが刑務所に入れられてもお構いなしの悪党である。パディントンを刑務所に入れるなんて!しかしこれがなかなか憎めない。ヒュー・グラントの特性は、よーく考えたら(考えなくても)ヒドイ奴を演じても、なぜだかわからないが憎めないことではないだろうか、というのが持論なのだが、今回も(私にとっては)そうだった。最後のはじけた姿なんか、ここまではじけられたらもう拍手するしかないぜ。

ちなみにヒュー・グラント氏は「パディントン2」のことを「今まで出た中で最高の映画かも」と言っている。

ew.com

 

好きな台詞

・「心を開けば足も開く」

あのヨガのシーンが壮大な伏線だったなんて…

 

・「命中!」

あの「昔はカッコよかったミスター・ブラウン」のシーンも伏線だったなんて…

 

総評:おまえミスター・ブラウン好きだな(好きだけど)。

ネタにするには早すぎる、その描き方は古すぎる

 

私はこの漫画に注釈をつけたい

 

 私事ではあるがしばらくTwitterを休んでいた。心身が疲れていたからだ。しかしよりによって筆者がTwitterを休もうとしていたまさにその時にちょっと話題になった漫画がある。少年ジャンププラス掲載の「わたしのアスチルベ」だ。

 

わたしのアスチルベ - あむぱか | 少年ジャンプ+

 

 この漫画はアセクシュアルを題材にしている。そして筆者にはかつてあまりにも酷いアセクシュアル漫画に対する怒りを7000字以上に渡って吐き出した前科がある。これ↓ね。

 

herve-guibertlovesmovies.hatenablog.com

 さて、今回「わたしのアスチルベ」を読んで、私は上の記事を書いた時のように激怒はしなかった。しかし「ううむ」とうなった。アセクシュアルについて何も知らない人が注釈なしで「わたしの~」を読んでしまったら、望ましくないメッセージが伝わってしまわないだろうか…

 そこでこの文章を書くことにした。「わたしのアスチルベ」を読む時の注釈として。

 

ネタにするには早すぎる① 「いい相手理論」は有効なのか

 

 「わたしのアスチルベ」に登場するふたりの登場人物について説明しよう。

 まずは主人公のあおい。彼女は昔から「恋愛が苦手」だが、「恋人が居ないのはおかしい」「普通は恋人がいるもの」という周りからの圧力に従って、男性受けする格好で出会いを求めて友人とバーに出かけたりしていたが、奏と出会って「他人に恋愛感情がわかない」=「アロマンティック」、「他人に性的欲求がわかない」=「アセクシュアル」という言葉を知り、自分もそうであると思うようになる。

 そしてもう一人の主人公とも言える奏。バーで出会ったあおいに「アロマンティック」「アセクシュアル」という言葉を教え、自身もそうであると語る。あおいと親しくなっていく。

 

 話が進むに従って、自身を奏と同じくアロマンティック/アセクシュアルであると思っていたあおいは、同僚の男性に恋心を抱くようになる。そして、中学生の頃、好きだった男子が自分の悪口を言っているのを聞いてしまい、それ以来恋をすることに恐怖心を抱いていたために恋愛ができなかったのだと悟る。

 

 この部分を読んで、筆者は「誤解を生みそうであるな…」と思った。

アセクシュアルの人々が言われがちなことの一つに、「まだ出会いがないだけなんじゃないの?」がある。

 そう…「アロマンティック/アセクシュアルとか言ってても、いい相手に出会えば恋愛も性行為もするでしょ」と言われるのである!!

 筆者は一度たりとも「またまた~。人に性的欲求が湧くとか言っちゃって~。ほんとはそんなことないでしょ。人間みんなアセクシュアルなんだから~」とか言ったことが(思ったことも)ないのでわからないのだが、ロマンティックでセクシュアルな人びとは、なぜ自分以外の人間もみんな当然ロマンティックでセクシュアルであると思いこむのであろうか。「自分アロマンティック/アセクシュアルなんすよー」と言われているにもかかわらず、である。俺にはわからない…ずっとそうだ…

 お願いなのだが、この「いい相手理論」、アロマンティック/アセクシュアルであると自称している人間には言わないでほしい。筆者は「ああまた戯言を聞かされておるな。けっ」くらいで済ませられる程度にはメンタルが鋼だが、そうではない人もいる。

家族から「(アロマンティック/アセクシュアルだと)決めつけないで、もしかしたら良い人に出会うかもしれない」と言われたというケースなど、恋愛や性的な関心を持つことを前提に、”いつかその時がくる”と諭されることもある。これは、当事者に対して「恋愛や性的な関心を持てない自分はおかしい」といったスティグマ(負の烙印)を押し付け、孤独や不安につながってしまう可能性がある。

news.yahoo.co.jp

 

 漫画に話を戻そう。筆者が「誤解を生みそうであるな…」と思ったのは、この部分が「いい相手理論」は正しい、と言っているように思われてしまわないだろうか、と危惧したからだった。「ほらー!やっぱりまだ正しい相手に出会ってなかっただけなんじゃんー!」と思ってしまう人が現れそうではないか、と思ったのである。

しかし。しかし、である。話はややこしいのだが、あおいのように、自分を「アロマンティック/アセクシュアル」だと思い、けれど何かのきっかけで、やっぱり違う、「ロマンティック/セクシュアル」だった、と悟るに至った、という人がいたとしても、それはそれで何も間違っていない。

 英語のサイトになるが、世界最大のアセクシュアルのオンラインコミュニティ、AVEN(the Asexual Visibility and Education Network)から引用しよう。

 

セクシュアリティは他のどのアイデンティティとも同様に――根本的には人々が自分自身を理解するのを助け、そして自分のその部分を他者に伝えるために使うただの言葉だ。もしあなたがアセクシュアルという言葉を自分自身を言い表すのに役に立つと思うなら、あなたはきっと自分はアセクシュアルであるとみなしているのだろう。もし後になってあなたがアセクシュアルではないことを示すような経験をしたとしても、それも同じく構わない。自分のアセクシュアリティ/セクシュアリティに疑問を抱く段階にある人々は私たちのコミュニティに歓迎だ。私たちは喜んで自分自身の経験や視点を共有し、あなたが自分自身についてもっと多くを発見するの手助けをしよう。私たちのメンバーはその多くがもはや自分をアセクシュアルと見なしてはいないが、それでも未だにあらゆるタイプの人々に対してサポートを提供し知恵を共有する活動に参加している。

Asexuality is like any other identity – at its core it’s just a word that people use to help figure themselves out, then communicate that part of themselves to others. If you find the word asexual useful to describe yourself, you may certainly identify as asexual. If you later experience things that indicate you’re not asexual, that’s fine as well. People in a stage of questioning their a/sexuality are welcome in our community, as we are happy to share our own experiences and perspective in helping you discover more about yourself. Many of our members no longer identify as asexual, but still participate to provide support and share wisdom to all types of people.

 

 

asexuality.org

 

 「いや、なんだよ、アセクシュアルだと思ってたけどやっぱり違ったって人もいるんじゃん! それなのに『いい相手理論』は言っちゃだめなの? なんでだよ!」と思う人もいるかもしれない。そういう人には考えてみてほしい。

 「私、青いズボンはきたい!」と言った後、周りから「でも君は女の子だよね」「女の子がズボンなんておかしいよね」「女の子が青好きっておかしいよね」「女の子なら赤いワンピース着たいよね」「着たいよね」「着たいよね」「着たい、よね?」と詰め寄られて「着たい…です…」と言わされるのと、「ちょっと待って…青いズボンはきたいって思ったけど、今日暑いよね…長ズボンちょっとうっとうしいかな…そういやこないだ買った赤い靴とあの赤いワンピース合いそうじゃね? やっぱ赤のワンピースにするわ!」と自分で考えた末に言うのとは違うよね? そういうことです。そしてもちろん「私は青いズボンをはくのである。あなたが何と言おうとも!はくのである!」と言う人がいたっていいのですよ。要は、あなたがいかに「赤いワンピースかわいい!正義!」と思おうとも、それはあなたの勝手なので好きにすればいいのだが、それを人に着せようとするなという話である。自分が着てりゃいいじゃん。

 

 

ネタにするには早すぎる② アセクシュアルに恋愛関係は可能か

 

 さて、もう一人の主人公とも言うべき奏の話をしよう。奏の両親はとても仲が良く、奏は「自分の未来にもこんな幸せがあると思って」いた。しかし恋愛感情も性的欲求も湧かない彼女は、どうにか相手を見つけようとする。彼女はその過程でアロマンティック/アセクシュアルという概念に出会うが、それをすぐには受け入れられない。「もしかしたらまだ特別な人に会えてないだけかもしれない」と思いながら、相手を探し続ける。

 おわかりいただけただろうか...。

 そう、上で述べた「いい相手理論」がここでも顔を出している。それもアロマンティック/アセクシュアルの当事者が自分に言い聞かせるかたちで。

 筆者は自分をアセクシュアルとみなしている。しかし奏のように「相手が欲しい」と思ったことはない。そのため正直言って、彼女の気持ちはわからない。

 しかしまず奏に言いたいのは、「そうか…辛いな…」である。

 奏は「愛しあう相手を見つけることこそが幸せである」という考えにとらわれすぎているように、筆者の目には映る。人の幸せはその一種類ではないんだよ、と言ったところで、彼女の欲している幸せは愛するパートナーのいる幸せなので、そんなもの響きやしないだろう。そして彼女の望む幸せはアロマンティック/アセクシュアルであれば決して得ることができない...。

 …ん? そうなのか? 本当に?

 作中の奏はアロマンティック/アセクシュアルだが、アロマンティックの人間がアセクシュアルとは限らないし、アセクシュアルの人間がアロマンティックとは限らない。というわけでここではまず、「アセクシュアルの人間は恋愛関係を持てるのか?」を見てみよう。

 先ほども引用したAVENより。

 

アセクシュアルの人々はアセクシュアル同士でうまくいく恋愛関係をもつことができますか?

 

できます!アセクシュアルの人々は恋愛感情を持つことができ、いかなる指向のどんな人とも同じようにその感情をめぐる恋愛関係を築くことができます。私たちは数多くはなく、他のどんな指向とも同様に私たちの個性は多様なので、相性のいいアセクシュアルのパートナーを見つけるのに試練はあるかもしれません。しかし、お互いを見つけたアセクシュアルカップルの成功の物語はありますので、確かに可能です。

 

Can asexuals have successful romantic relationships with each other?

 

Yes! Asexual people can have romantic feelings and form romantic relationships around those feelings just like anyone of any orientation can. There may be challenges in finding a compatible asexual partner, as there aren’t many of us and our personalities are as diverse as all orientations. However, there are success stories out there of asexual couples who have found each other, so it’s certainly possible.

 

アセクシュアルの人々はセクシュアルの人々とうまくいく恋愛関係をもつことができますか?

 

できますし、大勢がしています。人は必ずしも性的魅力を感じることなくともお互いに恋愛相手としての魅力を感じることができますし、これは特に性的魅力をまったく感じないアセクシュアルの人々にあてはまります。このことは(アセクシュアル/セクシュアルが)混ざっている関係にはさらなる課題を追加しますが、しかしうまくいく方法を見つけているカップルもいます。うまくいく確率が極めて低いとみなしてセクシュアルとデートしないアセクシュアルもいますが、全員ではありません。

 

Can asexuals have successful romantic relationships with sexuals?

 

They can, and many do. People can feel romantic attraction towards each other without necessarily feeling sexual attraction, and this is especially true for asexual people who don’t feel sexual attraction at all. This presents some additional challenges to mixed relationships, but some couples find ways to make it work. Some asexuals consider success so unlikely that they prefer not to date sexuals, but that’s not the case for everyone.

 

 

 

asexuality.org

 ではアロマンティックの人々はどうかというと、たとえばこんな記事がある。世界最大のカウンセリングのプラットフォーム、betterhelpより。

 

 アロマンティックの人々は他者との愛情の絆を築くことができる。アロマンティックの人は他者と一緒に暮らすことを望むかもしれないし、親しい友人と長期間人生を共にする取り決めをしたがるかもしれない。一人でいること、一人で生きることを望むアロマンティックの人もいるが、すべてではない。

Aromantic people can form bonds of attachment with others. An aromantic person may also desire to live with another person or to have a long-term living arrangement with a close friend. Not all aromantics want to be alone or live alone, though some do.

 

主要なパートナーを持ちたがるアロマンティックの人もいる。このパートナーとは、かれらが感情面でのサポートで一番頼っている人物かもしれないし、一緒に暮らしている人物かもしれない。この関係において恋愛的な愛情は欠けているであろうが、かれらはこのパートナーと性行為を行うかもしれないし、行わないかもしれない。

Some aromantics prefer to have a primary partner. This may be the person they lean on most for emotional support, and it may be the person they live with. They may or may not have sex with this partner, even though romantic affection is likely absent from this relationship.

 

 

 

www.betterhelp.com

 恋愛感情・性的欲求が、パートナーを得て関係を築くのに必要不可欠ではないということがおわかりいただけただろうか。たとえアロマンティック/アセクシュアルであったとしても、それは必ずしも「パートナーなしで、一人で生きていかなければならない」ことを意味しない。

 物語の最後で、奏にはパートナーこそいないが、心を許せる友人がいて、幸せそうである。彼女がそういうふうに生きていると描かれているのは素晴らしいことだ。しかし、私は同時に強調したい。奏が、こんなにも切望しているように、パートナーと共に生きていくこと。その未来もまた、閉ざされているわけではないのだ。

 

俺たちに羽はある(断言)

 

 さて、個人的に本作で一番「ぬぬぬう」と思った部分に話を移そう。

 本作には恋愛ができる人を翼を持った人、できない人を翼を持たない人として描いた部分がある。そして、恋愛をすることは翼を持った人が空を飛ぶこととして描かれる。元々翼を持たない=恋愛をしない人は空を飛ぶことができず足が地に着いたままである。

 う、うん。これ…これね…

 自分で書いた文章ではあるが、以前に酷いアセクシュアル漫画に激怒した時に書いた記事から抜粋しよう。

 

私たちは「性愛者の恋愛/性行為のある豊かな人生」から「恋愛/性行為」をマイナスした不完全な人生を生きているわけではない。私たちの人生は「恋愛/性行為」のない状態で完全なのであり、あるべき姿から何かが欠けているわけではない。

herve-guibertlovesmovies.hatenablog.com

 いや、言いたいことはこれに尽きる。たかだか恋愛をしない、性行為をしないというだけで、なぜ我々は生まれつき欠けたところのある人間扱いされなければならないんでしょうか。マジのマジにわからないのだが、恋愛/性行為をする人々は、恋愛/性行為を抜いたら他に何も残らないクソ貧しい人生を送っていらっしゃるのでありますか。それぐらいの暴言は吐きたくなるぜ。

 嗚呼、俺になんかの権限があったなら。「アセクシュアルはセクシュアルから性的欲求を引いた生き物でーす」という描写を俺は禁止したい。アセクシュアルはセクシュアルの出来損ないではない。世の中には性的欲求が湧く人間もいれば、湧かない人間もいる。ただそれだけのことだ。我々は何も間違ってなどいない。空に羽ばたくこと=幸せであるならば、間違いなく我々は空を飛べる。恋愛/性行為抜きでは幸せになれないなんてことがあろうか。いやない。幸せは人それぞれだ。我々には!羽があるのだ!

 

ぼくがかんがえたさいきょうのアセクシュアル漫画

 

 もう一つ、前回の記事から抜粋しよう。

マイノリティはただでさえ「マイノリティがマイノリティであるがための苦しみを味わう物語」に登場させられがちである。そういった物語はそういった物語でもちろん存在していていいのだが、今、いろいろなマイノリティが求めているのは、「マイノリティが、マイノリティをテーマにしているのではない物語に、フツーに存在する姿」である。

herve-guibertlovesmovies.hatenablog.com

 

 本作「わたしのアスチルベ」はどうかというと、結末には希望があり、マイノリティは苦しみを味わうだけでなく幸せを見出すけれども、これは「マイノリティがマイノリティであるがための苦しみを味わう物語」である。うん、その存在意義はわかる。もちろんそういう物語だってあっていい。しかし、しかしだ。正直言って私は今、この次の物語を見たい。

 私が考えた最強のアセクシュアル漫画。その条件はごくごくシンプルだ。

 1.その人物がアセクシュアルであることが明示される。

 理由はおわかりだろう。だってはっきり言っとかないと「この人はまだいい人に出会ってないだけで当然セクシュアルだよな」って思われるからだ!

 2.その人物のアセクシュアリティは物語の主題とはならない。

 フツーにアセクシュアルの人物がSFとかアクションとかミステリーに出てくるのを見たいんですよ私は。

 3. アセクシュアリティは特にその人物を苦しめてはいない。

 「マイノリティがマイノリティであるがための苦しみを味わう物語」の次に来る物語の話ですからね。アセクシュアリティ=不幸という呪いをかけないでほしい。

 ね?この3つを満たすのはとても簡単なことではありませんか。はっきり言ってどんな漫画でもできる。たとえば殺人事件の謎を解くのに、たとえば巨人の首を削ぐのに、たとえば金塊を探して冒険を繰り広げるのに、キャラクターがアセクシュアルであってはいけない理由などどこにもない。私は「アセクシュアルが、アセクシュアルをテーマにしているのではない物語に、フツーに存在する姿」を見たい。それも、自分自身のためというよりは、「私はこれで本当にいいんだろうか」と自分のアセクシュアリティに悩んでいるような人のために、それを見たい。映画、ドラマ、漫画、小説…数あるフィクションの中で、自分に似た誰かが、フツーに物語に関わって、フツーに生きている姿は、悩める人たちを必ずや勇気づけるはずだから。

 もう一度言うが、アセクシュアルである私たちは何も間違っていない。私たちは幸せになれる。私たちはきっと、大丈夫。これは、これだけは本当だ。

おまえはあくまで人間だ「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

意外と公式っぽい予告が見つからなかったので貼りません。

 

あらすじ

士郎正宗のSFコミック「攻殻機動隊」を押井守監督がアニメーション映画化。西暦2029年、高度に発達したネットワーク社会において多発するコンピューター犯罪、サイバーテロなどに対抗するため結成された非公認の超法規特殊部隊「公安9課」(通称「攻殻機動隊」)の活躍を描く。ある日、某国情報筋から、国際手配中の凄腕ハッカー・通称「人形使い」が日本に現れるとの情報が9課に寄せられる。隊長の草薙素子と9課の面々は人形使いの痕跡を追うが……。全米ビルボード誌のビデオチャートで週間1位を獲得するなど海外でも人気が高く、押井守の名を一躍世界に広めた代表作。ウォシャウスキー兄弟の「マトリックス」(1999)など、後のハリウッドSF大作へも影響を与えたとされる。(映画.comより引用)

 

感想

 筆者はマトリックス世代である。そしてアニメには詳しくなく、この超有名作を見るのも今回が初めてだ。そういう人間が観たため「あそこもここも『マトリックス』やん」と思ってしまった。当たり前だが、公開年は本作が「マトリックス」に先行しており、影響を受けたのは「マトリックス」の方である。「マトリックス」公開時にはさんざん本作の影響について語られていたが、本作を観ていかに「マトリックス」が本作をリスペクトしているかがやっと(……)理解できた次第だ。終盤のバトルシーンで柱が銃弾で削られていくところとか、黒い画面に緑色のコードとか、まんま「マトリックス」に引用されていたものね。ウォシャウスキー姉妹の本作への愛情がありありと伝わってくる映画だったのだな、「マトリックス」は。

 この映画で興味深いと思ったのは女性の描かれ方である。本作に登場する女性は極めて少ない。オペレーターの女性が数人、人形遣いが乗り移る義体、そして主人公である草薙素子。それぐらいだ。わずか数分の出番しかないオペレーターの女性たちは極めて似通った顔をしており個性というものが感じられず、それこそ機械のように指示に従っているだけだ(画面を操作する手が機械のものであるという描写もある)。人形遣いが乗り移る義体は女性の姿をしているがそこに乗り移った人形遣いは男性の声でしゃべるためあくまでも「容れもの」であるという感が強い。そして草薙素子だが、彼女は光学迷彩と呼ばれる技術で透明になる際に衣服を脱ぐ。その裸体は義体であるはずだが完全に人間の女性の形をしている。私は序盤であらわにされるこの身体を見て思った。これは「生きている」体ではない、機械の、作り物の身体である。それなのになぜこんなにもはっきりと性別があるのか? 機械の身体に性別など不要ではないのか? 

しかし、私はすぐに自分の間違いに気づいた。この身体に性別があるのは、それが「草薙素子」の身体であるからだ。本作に登場する前述の女性たちが機械そのもののように、代替可能な作り物のように描かれているのとは対照的に、草薙素子は、彼女だけは、義体を用い自らをサイボーグと称するにもかかわらず「人間」なのである。だから彼女の性別のある身体は、女性である草薙素子という人間の身体として正しい。

そして彼女が――「じぶん」というものの存在を自ら疑っているにもかかわらず――人間であるのはなぜかと言うと、バトーがいるからなのだ。バトーは、草薙素子を徹底して「人間」の「女性」として扱う。草薙自身が裸体を晒すことに羞恥を示すことは一度もないが、バトーは一貫してそのむきだしにされたからだから目を逸らす。博物館のシーンで、人形遣い義体はむきだしにされているのにその隣りに横たわる草薙の義体には上着がかけられている描写にそれは顕著だ。バトーにとって人形遣い義体は物体であり、草薙の義体は人間の女性の身体なのである。

特に終盤では人間をはるかに超えた存在と化す草薙を人間たらしめるバトーのこの感情を、安易に恋愛感情として描いていないところもいい。筆者はどんなジャンルの物語にもやたら異性愛が忍び込むのに食傷気味なのだが、この二人の関係は異性愛にあてはまらないものとして映った。脳を除いてすべてが作り物であり代替可能であろうと、おまえはそれでも人間だと言い続けること、それは愛には違いないが、きっとこの二人は恋愛で結ばれることを望まない。

 

ちなみに

・2017年、ハリウッドで同じ原作を基に「ゴースト・イン・ザ・シェル」が作られた。主人公を白人女性であるスカーレット・ヨハンソンが演じたことがホワイトウォッシングであるとして批判を呼んだ。

これについてはぜひこの動画を見てほしい。

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「自分のように見える」人物が映画や小説で描かれることは、とても大事なのです。

「カルト教団は怖い映画」かと思いきや「アポストル 復讐の掟」

 

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

普通に見られるのだが、アノ要素は知らない方がいいかもな…というところが映っているので貼りません。

 

あらすじ

ザ・レイド」のギャレス・エバンスが監督・脚本を手がけ、妹を救うためカルト教団に潜入した男の戦いを、バイオレンス描写を散りばめながら描いたサスペンススリラー。1905年。トーマスは身代金目的でカルト教団に誘拐された妹を救うため、信者を装って孤島へ潜入する。その教団は、預言者マルコムによる指導のもと凄惨な拷問や処刑を繰り返していた。自らも命の危機にさらされながら、妹の行方を捜すトーマスだったが……。主演は「美女と野獣」のダン・スティーブンス。共演に「ボヘミアン・ラプソディ」のルーシー・ボーイントン、「アンダーワールド」のマイケル・シーン。(映画.comより引用)

 

感想

 カルト教団から身内を取り戻すため潜入を試みる主人公…と聞くと、「あっ身内が実は完全に洗脳されてて教団の手先になって主人公を裏切るヤツ!」とか「神の教えに従って信者が恐ろしいことをしでかすヤツ!」とか思わないだろうか。私は思った。しかしこの映画、実際に見てみると思ったのとは違う。主人公が救い出しに行く妹はカルト教団の信者ではなく純粋に金欲しさにさらわれた少女である。また、教団が暮らす島では農作物の不作や家畜の子どもが無事に生まれないなど不運が続いており、暮らしに窮している。教団のトップたちは潜入したスパイを拷問したり殺したりするが、それは神の教えに背く不信心者に罰を下すというよりは、島での暮らしを守るため、自分たちがトップに君臨する社会の秩序を守るためだ。信者たちは戒律に縛られてはいるものの、特に狂信者めいた姿を見せることはない。

 中盤で島で行われていることが明らかにされるが、これには少しびっくりした。こういう話だったのか……しかし、興味深いのは人ならざる存在を虐げているのもまた人間だということ。この映画、徹頭徹尾、悪事は人間が行う。それも権力が欲しい、子どもの交際相手が気に食わない、などあまりにも人間らしい理由から。そこに宗教はもはや関係ない。宗教は、あの女神と同じく、人を支配するために利用されているだけだ。

 そしてあの結末は、失われていた信仰心の復活の象徴のようだ。自らの流した血が恵みに変わる、何とも安らかなシーン。というわけで、本作は「宗教は怖い」映画どころか、実は「信仰を取り戻す」映画なのだった。

 

ちなみに

 

・監督ギャレス・エヴァンズといえばもちろん「ザ・レイド」を作った人なのだが、「V/H/Sネクストレベル」で最恐の呼び声高い” Safe Haven”を撮った人でもある。「アポストル」でも見るからに痛そうで邪悪そうな装置を使いむごたらしいことが行われる「ひいいいいい」なシーンがあるが、その片鱗は既にこの映画に見られると思う。

 

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(これは英語版予告編だよ!英語版予告編は絶妙な感じで編集されているのだが、日本語版予告編は「見せない方がいいんじゃないかなー」というところを見せてしまっているので見ない方がいいと思うよ!)

 

・最後まで見ても何が「復讐の掟」なのかはわからないんだぜ!ちなみに原題はシンプルに「Apostle」だよ!

えええええええー!ラスト二十分の衝撃「キャビン・イン・ザ・ウッズ」

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

日本語版が見つからなかったので英語版を貼ろうとしたのだが、見ない方がいいんじゃないかなーと思うシーンが入ってたので貼りません。なるべく何も知らない方が楽しめる映画だと思います。

 

あらすじ

 麻薬に溺れる親友のクリスを助けるため、マイクはクリスが住むキャビンに彼を監禁する。監禁生活が続く中、マイクは奇妙なことに気づく。

 (いつも頼っている映画.comに掲載がなかったので自分で書きました)

 

感想

 この映画は静かにゆっくりと進む。slow burn(じわじわくる)という言葉がよく英語でホラー映画を形容する時に使われるけれども、まさにそれ。舞台はほぼ森の中のキャビンとその周辺、出てくる人物もクリス、マイクの他はヤク中の昔馴染みとかキャビンの持ち主とかでごくごく限られている。幽霊がバーン!死体がごろごろ!というタイプのホラー映画ではない。いや、終盤になるまで、まあなんだか不気味な写真や不気味な人や不気味な映像はあるけれど、そもそもホラー映画なのか? 怖くはないよ? と疑わしくなってくるくらいである。

 しかし、この映画が気に入るにしろ気に入らないにしろ、まず一度は観てほしい。この映画のラスト二十分くらいで提示されるアイデアは、これは…ネタバレがありますと言いながらここには書かないけれど、これまでに見たことがないものだと私は思った。ホラー映画が大好きで、どんでん返しはたいてい最後まで見る前にわかってしまう(本作のアイデアはどんでん返し系ではないけれど)人間なのだが、そう思ったのである。そのアイデアが最初に示される映像を流した時、この映画は立派にホラー映画に変わる。ええええええええマジで? そんなこと、ある??? WTF(汚い言葉を使うんじゃありません)? この最後の二十分、これをぜひ見てほしい。地味ーな映画なんだけど、少なくともこの二十分は試して損はないと思う。

 

ちなみに

・続編「アルカディア」もあり、こちらでは監督コンビ、ジャステイン・ベンソン&アーロン・ムーアヘッドが主演も務めている。本作とつながりがあるとのこと。気になる…

 

『アルカディア』予告 - YouTube

・”The Cabin in the woods”といえば「キャビン」の原題であるが、本作の原題は”Resolution”。「決心」や「解明」の他に「解像度」の意味もある(鑑賞後の人はにやりとするところ)。