※ネタバレがあります。
予告編
なんか日本版はちょっと見せすぎかつ字幕が英語と合ってなさすぎだなあ…と思うので英語版。
あらすじ
母を亡くした悲しみから立ち直れない高校生セイディとまだ幼い妹ソーヤー、父ウィルのハーパー一家。ある日セラピストをしているウィルのもとに見知らぬ男が現れ、不気味な話を聞かせた後、思わぬ出来事が起こる。怪物がいると言うソーヤーをはじめは信じられなかったセイディだが、やがて無視できない脅威が一家を襲い始める。
感想
ちょっと「透明人間」を思い出したのは、これが「自分を襲う恐怖を周りの人間が信じてくれない」という物語だから、だろう。「透明人間」での「信じてくれない」恐怖は、DV被害者が訴えを信じてもらえないという現実と重なっている、という話はこちらでしている。
herve-guibertlovesmovies.hatenablog.com
しかし「ブギーマン」における「信じてくれない」恐怖は、「透明人間」におけるそれとは種類がちがう。いや、むしろ、ここに描かれているのは「信じられない。だから怖い」という恐怖、とでも言えるだろうか。
まず注目したいのは、父ウィルの存在である。たとえば最初ソーヤーがブギーマンを目にしてセイディのもとに助けを求めてやって来た時、ウィルはどこにいたのだろうか。その後、セイディとソーヤーが一緒に受けていて、どうやらウィルの出席も期待されているらしいセラピーの場にも、ウィルはいない。更にその後、ソーヤーがふたたびブギーマンの脅威にさらされている時にもウィルはいない。彼がやっと姿を現すのは、ブギーマンの惨劇に見舞われた家でセイディが散々な目に遭い帰宅した後だ。彼が何をしているのかと言うと、亡き妻の遺品を箱に入れて処分しようとしている。娘であるセイディの意向も聞かずに。
セイディとソーヤーのふたりともが出席したセラピーで、ウェラー医師は言う。怖い目に遭った時、怖さに向き合えばそれは消えると。ソーヤーの言葉を信じないままではセイディは、ブギーマンという恐怖を消すことはできない。妻の話をすることを拒んでその死に向き合わず逃げ続けるウィルが、妻の死を乗り越えることはできないように。しかしセイディはソーヤーを信じブギーマンという恐怖に立ち向かうことを決めた。姉妹対ブギーマンとの戦いについにウィルが加わるということは、ブギーマンという恐怖に向き合いそれを倒そうとする試みではもちろん、ある。しかしそれは同時に、三人が三人とも抱えている妻/母の喪失という悲しみに向き合い前を向こうとする瞬間でもあった。ブギーマンというモンスターを魅力的に見せて容赦なく怖がらせるホラー映画でありつつも、これは悲しみを抱えながらやがて前に進むことを選んだ家族の物語でもあるのだ。
ちなみに
こちら主演のソフィー・サッチャーが出演した短編映画“Blink”です。
窓から転落し、昏睡から目覚めた女性。声を出すことができず、まばたきでしか意思の疎通ができない…というホラー映画。実質7分半くらい。