誰もが帽子にサンドイッチを隠している。「パディントン」
※ネタバレがあります。
予告編
あらすじ
1958年に第1作が出版されて以降、世界40カ国以上で翻訳され、3500万部以上を売り上げるイギリスの児童文学「パディントン」シリーズを初めて実写映画化。真っ赤な帽子をかぶった小さな熊が、ペルーのジャングルの奥地からはるばるイギリスのロンドンへやってきた。家を探し求める彼は、親切なブラウンさん一家に出会い、「パディントン」と名付けられる。ブラウンさんの家の屋根裏に泊めてもらうことになったパディントンは、早速家を探し始めるが、初めての都会暮らしは毎日がドタバタの連続で……。「ハリー・ポッター」シリーズを手がけたプロデューサーのデビッド・ハイマンが製作。ニコール・キッドマンらが出演し、パディントンの声は「007」シリーズのベン・ウィショーが担当。(映画.comより引用)
実は原作が苦手なんだな
告白すれば、原作の「パディントン」が苦手だった。繰り返される「暗黒の地ペルー」という言葉に、そこから来たもの言う熊がイギリスで巻き起こす騒動に、遠い異国からやって来た、違う文化を持った人々への差別的なまなざしを感じずにはいられなかったのだ。原作を手に取ったのはもう何年も前、大学生の頃だっただろうか。まあ当時からめんどくさいことを考えがちな人間だったのである。
そんなわけで、少しだけ構えて観た。特にお風呂でのくだり(歯ブラシを耳に使う、シャワーと戦う、など、「文明の利器を理解していない」描写ですね)や、元々の名前が熊ゆえに人間には発音が難しいため、人間が呼びやすい名前を割と適当につけられるところなどに、内心ひやひやしながら観た(たとえば外国の映画やドラマに出てくる日本人の名前がやたら「トシ」とか「ヒロ」とか、正式な名前を縮めたようなものであることにもやもやするのと通ずるところがある)。お前はそんなことはスルーして純粋にCGのもふもふの熊が騒動を引き起こすキッズ映画を楽しめばいいのではないか。声なんかベン・ウィショーだぜ。しかし性分なのでいろいろと考えることなしには観られないのである。
ミスター・ブラウンや隣人カリー氏がパディントンに向ける「異物を見る目」は、現実世界で移民が向けられるであろうまなざしと重なる。やつらは危険だ。うるさい。関わりたくない。さて、はたしてこの物語はここからどこへ向かうのか。多かれ少なかれ原作がそうであったように、ただ野蛮な国からやって来た文化的でない生き物が巻き起こす騒動を面白おかしく描いて笑いものにする話で終わるのか?
結論から言えば、そうではなかった。この映画、いい意味で、原作とは別物になっているではないか……!
私たちは同じなのだということ
まずいいなあと思ったのは、ジュディが語学に堪能であり、彼女だけはパディントンの「熊語」を発音、理解できるというところ。さらっと出てくるんだけれども、これは重要なポイントである。熊が人間に合わせて人間の言葉をしゃべるだけではなくその逆もやればできるのだということを、そしてこの子はそれをやろうとしているのだということを、映画の作り手はさらりと見せてくれた。向こうが自分たちの言葉を話すのを当たり前とみなすのではなくて、相手の言葉を覚えてそれでものを言おうとする、その時ふたりは対等になるのだ。ジュディがパディントンと築こうとしているのはそういう関係だ。
そして雨に濡れたパディントンがロンドン名物のあの黒い帽子をかぶった兵隊に雨宿りさせてもらうところ。ここはめっちゃ笑える場面なのだが、この兵隊さん、あのでかい帽子の中からサンドイッチを取り出すのですよ。パディントンが大事なマーマレードのサンドイッチを帽子の中に隠しているように。所は違い、種族は違えど、誰もが皆帽子の中には大事なサンドイッチを隠しているのです。これは真面目に言うのだが、ここは生きとし生ける者すべてのつながりを表す名場面なのです。
ミスター・ブラウンとChosen Familyとリナ・サワヤマとエルトン・ジョン
そしてそして、屋上のシーンで、「家族ですって?種族も違うのに」と言うミリセントに向かって、ミスター・ブラウンが言う台詞。
「生まれが地球の裏側だろうが/種族が違おうが/皆パディントンが好きだ/だから家族なんだ」
ミスター・ブラウン、それめっちゃ「Chosen Family」やないかい……!
上の動画で英国で活躍するアーティストのリナ・サワヤマとエルトン・ジョンがデュエットしている「Chosen Family」という歌は、リナ・サワヤマがLGBTQ+の人々を想って書いたという歌だ。
血のつながった家族から理解されず、家を追い出されたり虐待を受けたりすることも少なくないLGBTQ+の人々は、自分たちのコミュニティの中で家族を築き支え合ってきた。”Chosen Family”とは本来そういう家族を指す言葉である。
だが、リナ・サワヤマが体験したこと、そしてその体験を経て、元々のバージョンをリリースしてから約一年後に上のデュエットバージョンをリリースしたことを考え合わせると、そこにはもう一つの意味が立ち上がってこないだろうか。
リナ・サワヤマが2020年にリリースしたファースト・アルバム、「SAWAYAMA」は非常に高い評価を受けた。「Chosen Family」もこのアルバムに収録されている。
しかし、それにもかかわらず、彼女は英国の音楽に与えられる賞、ブリット・アワードやマーキュリー賞にはノミネートされなかった。なぜか。彼女は日本出身で日本国籍を有しており、英国籍を持っていなかったからだ。子どもの頃から二十年以上英国に暮らしていて、「ここでの暮らししか覚えていない」のに。
「多くの移民たちがこういうふうに感じていると思います――同化し、ブリティッシュ・カルチャーの一部になった場所で…ノミネートされる資格さえ私たちにはないのだと言われるのは、酷いよそ者扱いだと」
I think a lot of immigrants feel this way - where they assimilate and they become part of the British culture... and to be told that we're not even eligible to be nominated is very othering."
その後彼女の声は聞き届けられ、ブリット・アワード及びマーキュリー賞の選考基準は改められた。新基準の下では、リナ・サワヤマも選考対象になる。
そしてリナ・サワヤマを早くから高く評価していたうちの一人がエルトン・ジョンだった。彼は2020年6月の時点で「SAWAYAMA」を「現時点で今年最高のアルバム」と言っている。
以上の経緯を踏まえると、この歌詞が、文化の違いを超えて繋がる人々の姿にも重なって来ませんか。
同じ遺伝子や苗字を持っている必要はないの
あなたは
あなたは
私の選ばれた
選ばれた家族
We don't need to share genes or a surname
You are
You are
My chosen
Chosen family
種族の違うパディントンを家族だと言い切るミスター・ブラウンの姿に、私はこの歌詞を思い出して、泣きそうになってしまったのだった。
「違い」を指さして笑うのではなく、「違い」はあるけれど家族にはなれるんだよ。これがそういう物語になっていて、本当によかった。
ちなみに
・パストゥーゾおじさんの声はマイケル・ガンボン、ルーシーおばさんの声はイメルダ・スタウントン。豪華や。
・今となってはベン・ウィショー以外の声が考えられないけれども、パディントン役は当初コリン・ファースだった。パディントンが形になっていくにつれて、「私の声ではない」と悟った、とファース氏は語っている。