あの子のために、世界など崩れてしまえばいい。「獣の棲む家」
※ネタバレがあります。
予告篇
あらすじ
戦火のスーダンからイギリスへ逃れた難民夫婦が、新居に潜む謎の存在によって追い詰められていく姿を描いたNetflixオリジナルのスリラー映画。スーダンの内戦を生き延び、過酷な船旅を経てイギリスに亡命を申請した若い夫婦。条件付きで収容施設から出ることを許された彼らは、役所にあてがわれた古びた住居で新たな生活をスタートさせることに。しかし安堵したのも束の間、新居で奇妙な出来事に次々と襲われ……。監督・脚本は、これまで数々のCM作品を手がけてきたレミ・ウィークス。Netflixで2020年10月30日から配信。(映画.comより引用)
感想
怪物とは、なんだろう。
人はもうずっと昔から怪物の物語を語ってきた。吸血鬼やゾンビ、狼男にブギーマン…形や性質は違えど、人が怪物について語る時、怪物は常に何かを象徴してはいないだろうか。伝染病への恐怖、子どもを失う悲しみ、そして、「獣の棲む家」に登場する怪物が何の象徴であるかと言うと、それは――奇妙に聞こえるかもしれないが――救いである。
この映画で、主人公のボルは新しくあてがわれた家でくり返し亡霊を見る。死んでしまった少女の、一緒に船に乗っていたその他の人々の亡霊だ。そして壁の中から聞こえてくる声は言う。ボルが血を流し声の主に身体を捧げれば、死んだ少女は戻ってくると。
ずっと罪の意識に苛まれてきたボルにとって、これは救いである。自分が罪を償えば、自分がその運命を歪めて母親を呼びながら死んでいったあの少女をよみがえらせることができる。一つの命と引き換えに一人を甦らせるのだ。だって、それくらいの奇跡は起こって当然じゃないか? あんなに惨い目にあって一人死んでいった幼い少女のために、世界は一度くらい、そのルールを歪めてもいいじゃないか? しかしどれだけ彼らの親しい人たちが死のうとその歩みを止めることのない世界は、もちろん、ボルのそんなちっぽけな願いなど聞き入れることはない。世界は崩れない。今までと変わらずに進んでいく。
リアールがボルの体を乗っ取ろうとしていた怪物を殺すのはつまり、「目を覚ませ、現実を見ろ」と、ボルの頬を平手でたたく行為に等しい。ボル一人が犠牲になろうと、もちろん少女は甦りはしない。無駄に費やされた命が一つ増えるだけだ。だから、たとえどこからともなく母親を呼ぶ少女の声が聞こえてこようとも、ボルとリアールは生きなければならない。罪を犯してまで、少女の運命を歪めてまで、生きのびたのだから。画面に無情に映し出されるとおり、ふたりの家は死んでしまった人たちでいっぱいだ。このすべての死を背負い、馬鹿馬鹿しい歌を歌い、ナイフとフォークで金属の味のする食事をしながら、ふたりはここで生きていく。ここがもう、彼らの家なのだから。
ちなみに
・Youtubeチャンネル、WhatCultureHorrorによる10 Best Horror Movies Of 2020に選出されている。私はこれを見てこの映画を観たくなった。
・Youtubeチャンネル、Watch MojoのTop 10 Best Horror Movies of 2020にも選出されている。
神は背を向けて沈黙している「マ・レイニーのブラックボトム」
※ネタバレがあります。
Netflixで「マ・レイニーのブラックボトム」を観た。
予告編
あらすじ
1920年代のシカゴを舞台に、「ブルースの母」と称される実在の歌手マ・レイニーと彼女を取り巻く人々を描いたNetflixオリジナル映画。「フェンス」の原作者としても知られる劇作家オーガスト・ウィルソンの戯曲を、「サヨナラの代わりに」のジョージ・C・ウルフ監督のメガホンで映画化した。1927年。シカゴの録音スタジオで、人気歌手マ・レイニーのレコーディングが始まろうとしていた。4人組バックバンドのひとりであるトランペット奏者レヴィーは野心に燃え、他のメンバーたちと揉め事を起こす。やがて遅れて到着したマ・レイニーは白人のプロデューサーらと主導権を巡って激しく対立し、スタジオは緊迫した空気に包まれる。マ・レイニー役に「フェンス」のオスカー女優ビオラ・デイビス。「ブラックパンサー」のチャドウィック・ボーズマンがレヴィーを演じ、彼の遺作となった。Netflixで2020年12月18日から配信。
感想
どんな話なのかまるで知らずに見た。コメディなのかサスペンスなのか、そういう部分もまるで知らずに見た。すると私が見ていたのは、チャドウィック・ボーズマンだった。目を離すことができないようなエネルギーで、MCUで彼に親しんだ人はたぶん聞いたことがないであろう声としゃべり方で、たぶん全台詞の四分の一くらいは彼がしゃべったのではないだろうか。もうこのチャドウィック・ボーズマンを見せてくれただけでこの映画には感謝したくなってしまう。
映画の内容に話を移そう。これはマ・レイニーという実在のブルース歌手がレコードを収録する一日の出来事を追った物語である。マ・レイニーとチャドウィック・ボーズマン演じるトランペット奏者のレヴィーは、映画の最初のコンサートの場面から火花を散らす。二人は二人ともがスターであり、スポットライトを求める存在なのだ。この二人は共に自分の音楽を大切にしており、自分のやり方で音楽をやっていきたいという同じ思いを抱いている。が、二人は相容れることがない。マ・レイニーは女王であり、レヴィーは僕になれる人間ではないからだ。二人は目指す音楽性もまるで違う。マ・レイニーは自らのルーツである昔ながらの音楽を大事にし、レヴィーが入れ込んでいるのは都会である北部で人気の現代的なアレンジだ。白人であるレコード会社の人間たちはレヴィーに曲を書くよう頼んだりレコード収録にレヴィーの現代的アレンジを使おうとしたりして、一見レヴィーに好意的であるように思われる。しかし、実のところ、そうではない。彼らはマ・レイニーやレヴィーの音楽を「金になるもの」として見ているに過ぎないのであり、それを理解していたのは結局は、「自分は敬意を払われている」と確認するためであるかのように、白人たちに無理難題を言いつけてそれに応じさせていたマ・レイニーの方であった。
レヴィーには夢があった。しかしその夢が壊れた時、彼には何もなくなってしまう。踏みつけられ汚された黄色い靴は夢の象徴だ。彼はそれを踏みつけた人間を許すことができない。開かずの扉を力ずくでこじ開けた時、そこにあったのは何だったか?行き止まりだった。外に出て、自由になるには、四方を囲む壁を這い上がるほかなかった。彼には這い上がる力があった。それなのに、その力がないと思い込まされてしまった。
だが、そもそも、扉を力ずくでこじ開け、更に壁を這い上がらなければならないのはなぜだろう?それはレヴィーの大事な人たちに惨い出来事が起こるのを許したこの世界の仕組みのせいだ。レヴィーが天に向かって叫んだように、今日も神は背を向け、今日も神は沈黙し、レヴィーが夢見た音楽は、白人に奪われて演奏されている。
ちなみに
・メイキング「マ・レイニーのブラックボトムが映画になるまで」も見た。
プロデューサーであるデンゼル・ワシントンがチャドウィック・ボーズマンについてこう語るところがある。
「彼がいなくてさみしい。彼を愛してる。そして……映画を観れば私たちはいつも彼に会えるんだ」
泣いていいですか。
https://www.netflix.com/jp/title/81382641
・デンゼル・ワシントンとチャドウィック・ボーズマンには、「ボーズマンが大学生だった頃、イギリスへの留学費用が捻出できなかった彼のために、代わりに費用を負担したのがデンゼル・ワシントンだった」というエピソードがある。これを頭に入れてこの動画を見てほしい。
アメリカン・フィルム・インスティテュートの生涯功労賞を受賞したデンゼル・ワシントンに贈るスピーチである。
「デンゼル・ワシントンなしには、ブラック・パンサーはいなかった」
泣いていいですか(二度目)。
・この映画の原作はオーガスト・ウィルソンによる戯曲である。1984年のオリジナル上演版、2003年の再演版、両方でチャールズ・S・ダットンがレヴィー役を演じている。ちなみに2003年版ではマ・レイニーがウーピー・ゴールドバーグ、シルヴェスターがアンソニー・マッキーだった。デンゼル・ワシントンが監督・主演、マ・レイニーを演じたヴァイオラ・デイヴィスが共演した映画「フェンス」もオーガスト・ウィルソンの戯曲が原作である。
生きることが、石炭を飲みこむことだとしても。「心のカルテ」
※ネタバレがあります。
Netflixで「心のカルテ」を観た。
※この映画、最初に注意書きが入るのだが、摂食障害を抱える人々の経験に基づいて作られているため、生々しい描写も含まれている。
予告編
あらすじ
摂食障害を抱える女性がグループホームでの生活や仲間たちとの交流を通して再生していく姿を、「白雪姫と鏡の女王」のリリー・コリンズ主演で描いた、Netflix製作のオリジナル青春ドラマ。複雑な家庭環境で育った20歳の女性エレンは、重度の拒食症に苦しんでいる。継母の勧めでベッカム医師の診察を受けた彼女は、食べ物の話をしないことや最低6週間の入所を条件に、ベッカム医師が運営するグループホームで暮らすことに。エレンはホームの風変わりな規則に戸惑い、時に反発しながらも、同じく摂食障害を抱える同年代の入所者たちと共に、自分を見つめ直していくが……。型破りな医師ベッカムをキアヌ・リーブスが好演。共演に「パーティで女の子に話しかけるには」のアレックス・シャープ、「ハッピーエンドが書けるまで」のリアナ・リベラト。
感想
この映画を観てまず思ったのは、「リリー・コリンズ(主人公のエレンを演じている)は大丈夫か?」だった。普段からほっそりしている彼女が、たぶんメイクなどの効果もあるのだろうが、この映画では心配になるくらいに痩せ細っている。インタビューによると減量するにあたっては栄養士がついたらしい。最低でもそれくらいはしないといけないだろう(余談だがこのインタビューでリリー・コリンズは共演者のキアヌ・リーヴスのことを「とっても優しくて、すごく物静かで、とにかくそれはもうラブリーなの」と語っており、キアヌ・リーヴスファンとしてはうれしいかぎり)。
同じインタビューでコリンズは、かつて自身も摂食障害を抱えていたが、治療や専門家の助けなしに自ら自分に何が起きているのかを悟ったと語っているが、劇中のエレンは違う。「コントロールはできてる。悪いことは起こらない」と彼女は言うが、背中にあざを作りながら腹筋をし、口に入れて噛んだ食べ物を吐き出し、好物のお菓子を進められても触るのがやっとの姿を見るとその言葉が正しいとはまったく思えない。彼女は食べないことによって逃げているようだ。自分の描いた絵が引き起こした死から。機能不全の家庭から。そしてルーカスに告白したことから察するに、性的対象として見られることからも(ベッカム医師が新しい名前を提案して主に男性の名前であるイーライをエレンが受け入れるところは象徴的だ)。ベッカム医師がアナに朗読させる詩のことば――「のみ込み続けた石炭は勇気だ」――にあるように、食べ物をのみ込むことは彼女にとっては勇気のいる行為だ。それは逃げることをやめ、自分を直視することだ。だからあの荒野に生えた木の上で、まるでグーグークラスターのような石炭のかけらを飲み下して、彼女は木の下に倒れている痩せ細った自分自身の姿をみとめるのだ。
好きなシーン
リリー・テイラーがリリー・コリンズに哺乳瓶でミルクをあげるシーン…と言うと、何も知らずにそれだけ聞いた人は(劇中のイーライのように)「は?」と思うだろうし、撮りようによってはこの映画一番のWTF(意味は調べてね)なシーンになりかねなかったと思うのだが、非常にまじめに撮られていて、自分を案じてくれている人に優しく抱えられて食べ物をもらうという、結果としては心安らかなシーンになっていると思う。
ちなみに
上記の哺乳瓶のシーンや継母が作ったハンバーガー・ケーキのシーンは、自身もかつて摂食障害を抱えていた、監督マーティ・ノクソンの実体験に基づいているという。
私は私の好きな服を着る。「トール・ガール」
Netflixで「トールガール」を見た。
※内容に関するネタバレがあります。
予告編
あらすじ
高身長に悩む女子高生の恋と成長を描いた青春ラブコメディ。ニューオーリンズで暮らす16歳のジョディは、幼い頃から自分の背が高すぎることにコンプレックスを抱えてきた。周囲からもずっとからかわれてきたため自分に自信を持てず、目立たないよういつも背筋を丸めて過ごしている。そんなある日、彼女のクラスにスウェーデンからの交換留学生スティグがやって来る。超イケメンで自分よりも背が高い彼に一瞬で恋に落ちたジョディは、コンプレックスを克服するべく立ち上がるが……。
感想
ジョディは自分の身長がコンプレックスで、目立ちたくないと思うあまりにいつも地味な服装をしている。それがスティグに恋したことで、ミスコンの女王である姉に助けを求めておしゃれをすることにする。それは「見られたくない」から「見られたい」への転換だ。その結果、いじめっこさえ彼女に目を奪われるようになる。これは一見ポジティブな変化のように見えるが、実はそうとばかりも言えない。「高身長ゆえに他者からの注目を集めたくない」も、「他者の注目を集めるためにおしゃれな格好をする」も、結局他者の目、他者によるジャッジにとらわれていることに変わりはないからだ。彼女はしかし、最後の最後でさらにもう一歩先へ足を踏み出す。「見られたい」から「見られようと見られまいと私は他人のために自分を変えはしない」という境地に彼女は至るのだ。ホームカミングに彼女が誰と一緒でもなく一人でやって来るのは、彼女が誰のためでもなくただ自分のために、自分のいいと思う姿に装っているからだ。ここで彼女が着ているのが、姉と母と一緒に服を買いに行った時に唯一彼女が自分でいいと思った(画面にははっきりとは映らない)あの服であろうことは想像に難くない。この物語がここに着地するのはすごくいいと思う。
好きなシーン
スティーヴ・ザーン演じるジョディの父親は、勝手に背の高い人たちの会合を自宅で開いたり(ちなみにこのシーンで登場するトール・クラブは実在する)、やたら会話に身長を持ち出したりと、娘のことを思っているのはわかるのだが空回りを続ける。しかし、約束をすっぽかしたスティグに本気で怒る車のシーンと、傷ついた娘にドアの外から呼びかけて一緒にピアノを弾くシーンはよかった。
ジョディが身長をコンプレックスにしていること、彼女がスティグに恋していることを知りながら、自分がジョディとつきあいたいからってスティグに彼女を諦めさせようとするのはどうなのダンクルマン、と思ったが、それを除いてはダンクルマンはいいキャラクターだと思う。あのプレゼントのシーンと最後の木箱の理由はきゅんきゅんした。
ちなみに
実在するトール・クラブの創始者はKae Sumner Einfeldtである。彼女はウォルト・ディズニー・スタジオで「白雪姫」の仕事もしたアーティストだった。1938年、彼女が高身長である事に由来する問題を話し合うため、背の高い人たちに連絡を募った記事がきっかけでトール・クラブが発足した。
なぜ、シス俳優はトランスの役を演じるべきではないのか?(そして、なぜトランス当事者のクリエイターは増えるべきなのか?)-メディアにおける表現篇-
2020年7月、ハル・ベリーが女性から男性に性別移行したトランスジェンダーの男性役を演じることを考えていると報じられた。シスジェンダー(誕生時に振り分けられた性別とジェンダー・アイデンティティが一致している人)の女性である彼女がトランスジェンダーの男性役を演じるというニュースは多くの人の非難を呼んだ。
ここでは、この一件をきっかけに、いち映画ファンでありシスジェンダーである私が調べた、「なぜ、シス俳優はトランスの役を演じるべきではないのか」を整理したいと思う。
第二弾は「メディアにおける表現編」である。
2015年、18歳以上の成人2000人以上を対象にしたアメリカの調査によれば、トランスジェンダーの知人あるいは同僚がいる人は16%。 それでは実生活でトランスジェンダーを知らない人はどこから情報を得るのか?そう、メディアからだ。
では、メディアでトランスジェンダーはどのように描かれているか。2002年以降10年間のトランスが登場するTVの単発エピソード102本を分析した結果、トランスジェンダーの表現は54%が「ネガティブ」、35%が「問題あり」から「よい」。「革新的、公平、正確」は12%のみ。
またトランスのキャラクターは40%が犠牲者、21%が殺人者あるいは悪役、5分の1がセックスワーカーとして描かれた。そして61%のエピソードでトランス差別的な罵倒や台詞があった。
そしてネガティブな描写を観ると、トランス当事者である回答者の69%が「悲しみ」、78%が「怒り」、69%が「社会に対する反感」、49%が「疎外感」、41%が「恐怖」を感じる。
それに対してポジティブな描写を見ると62%が「幸福感」、55%が「一体感」、46%が「社会に対する好感、および自身のジェンダー・アイデンティティについてもっと話していいという気持ち」を感じると回答している。
こちらはポジティブな例として最も名前が挙がったドラマの1つ、「Boy meets girl」への反応である。このドラマではトランス役をトランス俳優が演じている。
「トランス俳優を起用したトランスのポジティブな描写で…トランスは普通の人々として描かれ、センセーショナルなカリカチュアではない」
もう1つのドラマ、「Sense8」でトランス役を演じたトランス女優のジェイミー・クレイトンは語る。
「ストーリーの中心は性別移行ではなく、それはトランスのキャラクターにとって本当に重要なステップだと思う」
「ドラマがトランスは単にフィクションの世界に存在することができるという考えの方に進んでいるのに興奮しています。だって私たちは現実の世界に存在しているのだから」
「トランスの経験を持つより多くの人がものを書いているのは素晴らしいことです」
シス俳優がトランス役を演じることには他の懸念もある。
トランス女性で活動家のサリー・ゴールドナー曰く、 「スカーレット・ヨハンソンが男性役を演じるかもしれなかったりその逆だったり、それは私たちが自分でそうだと言っている存在ではないという考えを補強してしまう」
そう感じているのは彼女だけではない。
ドラマ「POSE」でトランス役を演じたトランス女優、アンジェリカ・ロスもこう語っている。
「ジャレッド・レトみたいな人が「ダラス・バイヤーズ・クラブ」でトランス女性を演じた後で(アカデミー賞を)受賞して、顎髭ぼうぼうで完全にシス男性の外見で立っていて、そういうことは観客にその全ての下にはまだ男性がいるんだと伝えているの。そしてしばしばキャスティング・ディレクターや監督と話していて感じるのは、私自身や他の多くのトランス俳優は(演じる)機会を拒まれてきた、なぜなら私たちは充分にトランスっぽく見えなくて、観客は理解できないだろう、混乱してしまうだろうってそういう人達が言うから。そしてそうすることがすごく辛くて実は有害なのは、彼らが言おうとしているのは、映画が進んで観客が観ている間、底には女性がいるんだ、男性がいるんだってことを観客に忘れてほしくないってことなの。でも実はそこがポイントなのよ。私たちは忘れてほしい。ただこの人は一人の人間なんだって、これは人間の物語なんだって見てほしい。足の間にあるものや、アイデンティティーが何なのか、ジェンダーのことを忘れてほしい。それがいい物語を語る目標です」
トランス女性で女優、脚本家、演出家のジェン・リチャーズもこう語っている。
「シス男性にトランス女性を演じさせることは、私の頭の中ではトランス女性に対する暴力と直結しています。思うに男性達がトランス女性を殺害するに至る理由の一部は、トランス女性と一緒だったことで他の男性にゲイだと思われるのを恐れるから。友人たち、つまり彼らがその判断を恐れる男性達とトランス女性を演じる人々が彼らが知る男性だからです」
Having trans actors play trans characters is about more than opportunity.@Disclosure_Doc is now on Netflix pic.twitter.com/u3zMiWhuew
— Netflix (@netflix) 2020年6月25日
「人々は私を殺したがっている。私たちはこの国で、自分自身であるがゆえに組織的に殺害されているの」
トランス女優のアレクサンドラ・ビリングスがそう語るように、トランスジェンダー及びジェンダー・ノンコンフォーミングの人々に対する犯罪は後を絶たない。
この記事の元となったTwitterのスレッドを発表した7月の時点で、2020年には既に21人の犠牲者が出ていた。この記事を書いている今、2020年11月30日、同じリンク先の記事を確認して、犠牲者数が「少なくとも39人」に増えていることに気づいた。4か月あまりでほぼ倍になったことになる。これらの事件では、動機が明らかにトランス差別そのものであることもある。トランスであるがゆえに職や家を失うなど、危険な立場に置かれることもある。また、警察の発表やローカルメディアの報道で被害者がミスジェンダリングされることも多い。
「Sense8」のクリエイターでトランス女性であるリリー・ウォシャウスキーはLGBTコミュニティにおける功績を讃えるGLAADメディア賞の授賞式で語っている。
「私たちは皆くそったれなドアをぶち壊して自分の物語を語らなければならない。問題は教育だから。声を持つということだから」
「ステージにいるストーリーテラーも、この部屋にいるストーリーテラーもみんな、自分のことを語る言葉を見つけつつある時のもっと大きな会話の一部なの。問題は共感。耳を傾けるということ。私たちはお互いに耳を傾けるすべを学ばなければならない」
これまで非当事者によって語られてきた誤ったステレオタイプを当事者が語り直し、その声をより多くの、当事者を知らない人々へ届ける。そうやって世界を変えようとしている人々を、映画ファン、ドラマファンとして支持したい。
https://twitter.com/netflix/status/1276210382625845248?s=20
https://twitter.com/netflix/status/1276210382625845248?s=20
なぜ、シス俳優はトランスの役を演じるべきではないのか?-雇用機会篇-
2020年7月、ハル・ベリーが女性から男性に性別移行したトランスジェンダーの男性役を演じることを考えていると報じられた。シスジェンダー(誕生時に振り分けられた性別とジェンダー・アイデンティティが一致している人)の女性である彼女がトランスジェンダーの男性役を演じるというニュースは多くの人の非難を呼んだ。
ここでは、この一件をきっかけに、いち映画ファンでありシスジェンダーである私が調べた、「なぜ、シス俳優はトランスの役を演じるべきではないのか」を整理したいと思う。
第一弾は雇用機会篇だ。
そもそもトランスジェンダーの役はとても少ない。2017-2018年のシーズンでレギュラーもしくは複数回登場するキャラクターはテレビ、ケーブルテレビ、ストリーミング全体でたった17人。これでも2015年の7人からはだいぶ増えている。
今回ハル・ベリーが演じようとしていたトランス男性の役はその中でも少なく、17人中9人がトランス女性、4人がトランス男性、4人がノンバイナリーだったという。
しかしその少ない役も多くはシスジェンダーの俳優に渡ってしまう。ドラマ「POSE」はトランス役にトランス俳優を起用しているが、「それは極めて稀なので注目すべきことだ。しばしば、トランスのキャラクターを演じるのに雇われるのは(中略)シスジェンダーの俳優だからだ」。
トランス女性で女優、演出家、脚本家のジェン・リチャーズ曰く、「ハリウッドはシスが演じるトランスしか見たことがないから、それがトランスの外見のイメージなの。それで私たちはトランスに「見えない」からって仕事をもらえないわけ」。」
確かに、「ボーイズ・ドント・クライ」のヒラリー・スワンク、「トランスアメリカ」のフェリシティ・ハフマン、「ダラス・バイヤーズ・クラブ」のジャレッド・レト、「リリーのすべて」のエディ・レッドメイン、トランス役を演じて高く評価されたシス俳優は数多い。
特に「トランスアメリカ」でフェリシティ・ハフマンが演じた主人公は当初、トランス女優のアレクサンドラ・ビリングスが演じるはずだった。
それならトランス俳優がシス役を演じられるかというと、その機会はまだまだ少ない。 以下はスカーレット・ヨハンソンがトランス男性役を演じようとしたことに対するトランス女優、トレース・リセッテの反応。
Oh word?? So you can continue to play us but we can’t play y’all? Hollywood is so fucked... I wouldn’t be as upset if I was getting in the same rooms as Jennifer Lawrence and Scarlett for cis roles, but we know that’s not the case. A mess. https://t.co/s8gBlBI1Sw
— Trace Lysette (@tracelysette) 2018年7月4日
「じゃああなたたちは私たちを演じられるけど私たちはあなたたちを演じられないってこと?ハリウッドってすごくいかれてる…シスの役のためにジェニファー・ローレンスやスカーレットと同じ部屋にいたならこんなに腹を立ててないけど、そういう状況じゃないのはわかってる」
同じくトランス女優であるジェイミー・クレイトンもこうツイートしている。
Actors who are trans never even get to audition FOR ANYTHING OTHER THAN ROLES OF TRANS CHARACTERS. THATS THE REAL ISSUE. WE CANT EVEN GET IN THE ROOM. Cast actors WHO ARE TRANS as NON TRANS CHARACTERS. I DARE YOU #RupertSanders @NewRegency #ScarlettJohansson https://t.co/RkrW8MeGcG
— Jamie Clayton (@MsJamieClayton) 2018年7月4日
「トランス俳優はトランスの役でなきゃオーディションにも行けない。それが真の問題なの。部屋にも入れないの。トランス俳優をトランスじゃない役にキャスティングしなさい。やってみなさいよ」
俳優組合Equityは、より多くのキャスティングディレクターがトランスの俳優を雇ってトランスでない役を演じさせることを考慮するよう求めている。
ジェン・リチャーズは語っている。 「シスの人がトランスを演じられないとは決して言いません…理想的には、トランスが他のみんなと同じようにどんな仕事も得られる可能性があるような世界に私たちが住んでいるなら、スクリーンで誰がトランスを演じるのか、ここまで気にしていなかったでしょう」
Why trans actors should be cast in trans roles - Chicago Tribune
シスジェンダーの役を演じたトランス俳優は、まったくいないわけではないが、発見できたのは2人だけだった(もちろんもっといるかもしれない)。 「ゴールデン・リバー」(ジャック・オーディアール監督、2018年米)でトランス女優レベッカ・ルートが演じたのはトランスなのかシスなのか明確にされない女性。レベッカ自身はシス女性として演じたと言う。
「おかしいのは、前はいつも考えてたの、SF映画を私がやるなら、なんかクレイジーでおかしなエイリアン役だろうって。でも本当のところ、エイリアンを演じるべき理由はないのよ、だってたまたま背が高くて強い女性であるホモサピエンスだって演じられるじゃない?」
「コレット」(ウォッシュ・ウエストモアランド監督、2018年英米合作)でシスの役を演じたトランス男優ジェイク・グラフはこう語っている。
「妙な形で、僕は人生の大部分、女性に見せかけてシスを演じてきたんだ!(中略)『コレット』で僕は男性を演じている。僕にとって世界で最も自然なことだ。喜びであり名誉だった。それにトランスを演じてるんじゃないっていうのはいいことだったよ」
ハル・ベリーは、自身が演じるトランス男性を「彼女」「女性」とミスジェンダリングしていたことも批判されていた。 ※ミスジェンダリングとはトランスジェンダーをジェンダー・アイデンティティに一致する性ではなく、誕生時に割り振られた性別で呼ぶこと。
今話題の映画「トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして」(サム・フェダー監督、2020年米)(※Twitter上では原題である"Disclosure"で呼ばれることも多い)の監督で自身もトランスジェンダーのサム・フェダーはハル・ベリーに対してこう呼びかけていた。
Often people don’t know what they don’t know. And that’s ok! @halleberry please consider watching @Disclosure_Doc before performing transness. https://t.co/48ArzLlMEh
— Sam Feder (@SamFederFilm) 2020年7月6日
「しばしば人は知らないものは知らないんだ。それはいいんだよ!ハル・ベリー、トランスネスを演じる前に、どうか「トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして」を観ることを考えてください」
ジェイミー・クレイトンも彼女にこうツイートしている。
Hey there @halleberry! Have you watched @Disclosure_Doc on @netflix yet? I strongly suggest you do. And then share it with every single person you know. Please fight for us, not against us. #TransIsBeautiful
— Jamie Clayton (@MsJamieClayton) 2020年7月6日
「ネットフリックスの「トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして」はもう見ました?強くおすすめします。そして知っている人みんなにシェアしてください。どうか私たちのために戦って。私たちと戦うのではなくて」
そしてハル・ベリーは謝罪を表明した。
— Halle Berry (@halleberry) 2020年7月7日
「シスジェンダー女性として、この役を検討すべきでなかったこと、トランスジェンダーコミュニティは間違いなく自分たちの物語を語る機会を持つべきであることを今は理解しています」
彼女の謝罪はおおむね好意的に受け止められているようだ。
自身もトランス女性であり、YouTubeのThe Sarah O'Connell Showのホストであるサラ・オコンネルはこうツイートした。
Thanks to Halle Berry for listening, and stepping away from this role. Everyone should watch @Disclosure_Doc on Netflix to better understand the history of Trans representation in the media. @SamFederFilm @LaverneCox https://t.co/IM5pLRrCwv
— Sarah O'Connell (@SarahO_Connell) 2020年7月7日
「耳を傾け、この役から降りてくれたハル・ベリーに感謝します」
人は知らないことを学ぶことができるし、それまで聞こえていなかった相手の話も聞くことができる。これまで耳を傾けられることのなかった人たちの声が届きますように。
https://twitter.com/tracelysette/status/1014313678441668608?s=20
https://twitter.com/tracelysette/status/1014313678441668608?s=20