映画を観る準備はできている。

映画についてのいろいろな話。

「フツーの子」がヒーローになる瞬間。「シャザム!」

 

「シャザム!」を観た。

※ネタバレがあります。

 

 

予告編

 

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あらすじ

「スーパーマン」や「バットマン」と同じDCコミックスのヒーロー「シャザム」を映画化。見た目は大人だが中身は子どもという異色のヒーローの活躍を、独特のユーモアを交えて描く。身寄りがなく里親のもとを転々としてきた少年ビリーはある日、謎の魔術師からスーパーパワーを与えられ、「S=ソロモンの知力」「H=ヘラクラスの強さ」「A=アトラスのスタミナ」「Z=ゼウスのパワー」「A=アキレスの勇気」「M=マーキューリーの飛行力」という6つの力をあわせもつヒーロー「シャザム(SHAZAM)」に変身できるようになる。筋骨隆々で稲妻を発することができるが、外見は中年のシャザムに変身したビリーは、ヒーローオタクの悪友フレディと一緒にスーパーマン顔負けの力をあちこちで試してまわり、悪ノリ全開で遊んでいた。しかし、そんなビリーの前に、魔法の力を狙う科学者Dr.シヴァナが現れ、フレディの身に危険が及んでしまう。遊んでいる場合ではないと気付いたビリーは、ヒーローらしく戦うことを決意するが……。シャザム役はTVシリーズ「CHUCK チャック」のザカリー・リーバイ、監督は「アナベル 死霊人形の誕生」のデビッド・F・サンドバーグ。(映画.comより引用)

 

感想―ヒーローものとしての「シャザム!」

 主人公ビリーは幼い頃迷子になった時以来里親を転々としながら母親を探している、というバックグラウンドはあるものの、それ以外はごくごく当たり前の14歳の子どもである。「悪をくじき正義を行い人々を救うのだ!」という、たとえば同じDCのヒーローであるバットマンやスーパーマンが背負っているような覚悟は、パワーを手に入れた当初の彼にはない。だから手に入れたパワーで彼が自分からやることは、指からビームを出したり、道行く人とセルフィーを撮ったりしてお小遣い稼ぎをすることだ。ひったくりや強盗を止めたりしているのは、あくまで「たまたま現場に居合わせて」「たまたま止めるパワーがあったから」である。これが「だよねー」と思ってしまった。普通の14歳の子どもが、何だかすごいパワーを手に入れたからって、いきなりヒーローになれるわけがないのだ。「なんか超速く動けるかも。なんか銃で撃たれても平気かも。すげー。他に何ができるんだろうな?」となるのが普通だろう。

 この映画がヒーロー映画として興味深いのは、「何か凄いパワーを授かったらしいがはて、何ができるのかな」と、ヒーロー自身が探求していく姿を描いているところだと思う。飛べるのか?飛べるにしてもどうやって?スーパーマンはどっちの手をどうやって飛んでるの?いかにも実際に飛ぼうとした時に困りそうなポイントである。アイアンマンやバットマンのような自分自身にスーパーパワーが授かったのではなく、強くなるために装備を作り体を鍛えるタイプのヒーローでは訓練シーンは結構見る気がするけれども、スーパーパワー系のヒーローでは珍しいのではないだろうか。

 

感想―家族の物語としての「シャザム!」

この映画、ヴィランがいかに生まれたかを最初の方に持ってきているのだが、このヴィランの兄と父が正にトキシック・マスキュリニティの見本のようで、復讐シーンはむしろ「やったれやったれ!」となってしまった。一方で主人公ビリーは幼い頃に別れた自らの母親との思い出を大事にし彼女を探し続ける。彼は「本当の家族ではない」里親および他の子どもたちを最初は受け入れることができない。それなのに、彼はたった一つのよりどころだった母親を失ってしまう。やっと探し当てた彼女にとって自分がずっと抱えていた思い出は大事なものではなかったことを知り、自分が結局は捨てられたのだということを悟るのだ。ビリーはその後、フレディたちの危機を知って彼らを救うべく変身するが、ビリーがヒーローになるのはこの瞬間だ。だってこれが初めてではなかっただろうか。「たまたま目の前で起こったから」「たまたまそれができるパワーがあるから」ではなく、「この人たちを助けたい、助けなければ」そういう気持ちからビリーが変身したのは。そしてこの瞬間はまた、ビリーが「自分を大事にしてくれない家族」に背を向け、「自分を受け入れてくれた人たち」を家族として受け入れ始めた瞬間でもある。

パワーが人をヒーローにするのではない。成り行きで人を助け、自分のパワーが原因で道路から落ちそうになったバスを受け止めていた頃のビリーはヒーローとは言えない。空を飛び異形のものを招喚する人ならざる力ならDr.シヴァナだって持っていた。しかしDr.シヴァナがヴィランにしかなれないのは、自分を苦しめた「人に頼るな。男なら自分で戦え」という呪いと戦うのではなく、手に入れた力でその呪いを人に押しつける側にしかなれなかったからだ。自分を受け入れてくれる新たな家族を築くのではなく、自分を愛してくれない家族を物理的に消すことしかできなかったからだ。Dr.シヴァナの片目に最後に残されたのが七つの大罪の中でも「嫉妬」なのはだから、偶然ではない。ビリーはDr.シヴァナが嫉妬せざるを得ない存在だ。単に自分ではなくビリーがシャザムに選ばれたというだけではない。選ばれた理由が重要だ。ビリーが選ばれたのは、彼が自分を捨てて傷つけた母親のもとを、彼女を傷つけずに離れることができたから。自分で選び取った家族に頼り、一緒に戦うことができたから。幼い時迷子になる前に欲しかったトラのぬいぐるみを巻き込まれた子どもに差し出して、その子が父親と一緒に家に帰れるように戦ったから―特にこのシーンは、まるで幼い頃の自分を救っているかのようだ―ビリーはDr.シヴァナがやるべきだったこと、やっていたら幸せになれたであろうことをやれる、そういう子だったのだから。

この映画でビリーがヒーローであることが、それがヒーローである理由だということが、私はうれしい。家族の呪いを断ち切ることができた人は皆ヒーローだから。

 

好きなシーン

・「いい兄ならそうする」。

・ヒーローバージョンのペドロが最初の攻撃を受けた時、「ひいいいい」みたいな顔をして目をつぶっている。そりゃそうだ。

・せっかく「私はこれからこのパワーで世界を征服するのだ!」と悪の親玉的な演説をしているのに遠いから声が届かないDr.シヴァナ。ふびん。

 

ちなみに

・Dr.シヴァナに利用され、洞窟への扉が開いた時に塵になってしまう研究者の顔にぴんときた人はホラーファンではないだろうか。この人はロッタ・ロステンという女優さんで、夫である本作の監督、デビッド・F・サンドバーグと一緒に恐ろしい短編ホラーを世に送り出してきた人。あの役員会議のシーンもかなりホラー味があったよね。ここから観られます。

 

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・シャザムはかつてキャプテン・マーベルという名前だった。フォーセット・コミックスが作ったキャラクターで、初登場は1939年、一時はスーパーマンをも上回る売り上げを記録したが、DCコミックスに「キャプテン・マーベルはスーパーマンのコピーである」と訴訟を起こされた結果、1953年にフォーセット・コミックスはキャプテン・マーベル関連作品の出版を停止、1972年にキャラクターのライセンスはDCコミックスに譲渡される。しかしその頃にはマーベルが「キャプテン・マーベル」というキャラクターを作りトレードマークを取得していたため、DCは「シャザム!」を使って新たにキャラクターを売り出そうとする。その結果、「シャザム!」がキャラクター名として定着していった。2011年、DCはキャラクター名を「シャザム」に改名している。

 

・フレディ役のジャック・ディラン・グレイザーは「ビューティフル・ボーイ」でティモシー・シャラメ演じるニックの少年時代を演じていたが、たいへん説得力がありました。